PROFILE
プロフィール
- 名前牧口 一真(マキグチ カズマ)
- 生年月日2004/09/07(20歳)
- 出身地兵庫県
- 身長/体重188cm / 75kg
- ポジションGK
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
サッカーを始めたのは小学3年生です。それまで水泳や空手もやっていたのですが、何かのスポーツを本格的にやろうとなった時に、それがサッカーでした。親は野球をやっていたので、小さい頃はずっとキャッチボールをしていたのですが…(苦笑)。西宮市出身で、実家も甲子園球場の近くにあります。家の中にもサッカーボールではなくバットやグローブがあったのですが、野球ではなくセレッソやヴィッセルを見て、サッカーを始めました(笑)。甲子園浜SCという小学校の少年団に入りました。GKがしたくてサッカーを始めたんです。ボールを止める感覚が好きで、最初からGKでした。なぜGKをやりたくなったのか、ハッキリとは覚えていませんが、時期的にブラジルW杯があったので、そこで影響されたのかも知れません。ゴールを決めるより、止めることに面白みを感じていました。4年生から5年生の頃、少しだけセレッソのスクール(尼崎南校)にも通っていました。甲子園浜SCの活動は土日だったので、平日はセレッソのスクールに並行して通っていました。この年はセレッソの試合を見ることも多く、柿谷選手やフォルラン選手が活躍していました。5年生の途中でセレッソのスクールを辞めて、ヴィッセル神戸のスクールに入りました。移ったきっかけは、市トレ(セン)のコーチがヴィッセルから来ていて、その影響だったと思います。
-中学~高校-
中学はヴィッセル神戸のU-15に入ります。関西から上手い子が集まってくるので、レベルは一気に上がりました。GKにも中1で180cmぐらいある子が入ってきて、中学3年間を通してずっとこの子が試合に出ていました。田村聡佑という選手で、今は中京大学でプレーして、全日本大学選抜にも入っています。悔しい3年間でしたが、プロサッカー選手を目指す上で厳しさも学びました。当時、神戸のトップチームには、イニエスタ選手、ポドルスキ選手、ビジャ選手など錚々たるメンバーがいて、凄かったですね(笑)。のちに愛媛FCでチームメートになった徳重健太さんも、この時の神戸にいました。愛媛で一緒にプレーさせていただいた時は、縁を感じました。
そのまま神戸のU-18に昇格したかったですが、上がれませんでした。神戸U-15の監督と愛媛U-18の太田GKコーチがつながっていた縁で、愛媛FCのU-18に入ることになりました。神戸は全国でも上位のチームだったので、それに比べると、愛媛のレベルは落ちます。「ここで試合に出られなかったら先はない」と、覚悟を決めていきました。ただ、高校1年生の2020年はコロナが流行って、夏ぐらいまでリーグ戦がありませんでした。夏以降、プリンスリーグ四国で一巡だけ試合をしたのですが、一学年上に、のちにトップ昇格するGKがいたので、自分は試合に出ていません。高2では、プリンスリーグ四国で2位になり、プレーオフ(プレミアリーグ参入戦)まで進みました。ただ、自分は数試合しか出ることができず、ほぼベンチでした。この年、同学年の(北野)颯太や(大迫)塁と、世代別代表の候補合宿で一緒になりました。自分が選ばれたのは1度だけだったので、あまり話していませんが、セレッソでチームメートになって、2人とも覚えてくれていました。また一緒にやれて嬉しいですし、「自分も負けずに頑張ろう」と思える存在です。3年生ではずっと試合に出て、プリンスリーグ四国で優勝しました。それも17勝1分の負けなしで、ダントツでした。ただ、この年も前年に続きプレーオフの2回戦で負けて、プレミアリーグには上がれませんでした。上げたかったですね。
トップ昇格は3年生の始めに決まりました。それまでにもトップチームの練習に参加したり、トップチームとの練習試合も何回かあり、そこで評価していただきました。3年生では2種登録もしていました。プロに上がれることが決まった時は、ホッとしました。神戸U-15から愛媛U-18に入った時もそうでしたが、高校3年間はずっと反骨心を持ってプレーしていたので、「これでスタートラインに立てる」という気持ちでした。高校を卒業する頃には身長も185cmぐらいまで伸びました。太田GKコーチにも伸び伸びとプレーさせていただき、成長できたと思います。左利きで、キックも磨いた3年間でした。
-プロ以降-
プロ1年目、チームはJ3に優勝してJ2に昇格したのですが、自分は手首のケガで2回手術して、しんどい1年でした。最初、3月の終わりにケガをして手術して、8月に復帰したのですが、1ヶ月後に痛くて病院に行ったら、「もう一度、オペしましょう」と。言われた時は、絶望的な気持ちになりました(苦笑)。2度目のリハビリを乗り越えるのは大変でしたが、愛媛U-18の同期で一緒に昇格した行友(翔哉)選手が夏に海外移籍をして、それも刺激になりました。
プロ2年目の開幕と同時期に復帰できました。サッカーができることは当たり前ではないと、痛いほど思い知らされました。プロ1年目はずっとサッカーができなかった分、2年目はプレーできるだけで喜びがありました。公式戦に出る機会はなく、悔しさもありましたが、GKが3人体制だったので、練習試合に出る機会も多かった。そこで成長できた実感もあり、充実した1年になりました。神戸U-15時代に見ていた徳重さんをお手本に、慕っていました。正GKの辻周吾選手もいい選手で、学ぶことが多かったです。昨年は、(愛媛に期限付き移籍していた)ネル(石渡ネルソン)と一緒にいる時間も長かったですよ(笑)。彼も初の移籍だったので、愛媛のことを色々と教えていました。
プロ3年目の今シーズンは、「今年こそ絶対に公式戦に出る」という強い気持ちでスタートしました。GKというポジションは1つしかなく、経験も問われますが、それを言い訳にせずやろうと決意していた矢先、開幕直前に代理人から電話がかかってきて、「セレッソからオファー来ているぞ」と。ビックリしましたね(笑)。J1のクラブですし、小さい頃にも見ていたので、断る理由はありませんでした。開幕戦の大阪ダービー前日にセレッソに合流しました。「このメンバーと、この環境で、1年間できるのか」と思うと、幸せで言葉に表せないぐらい嬉しかったです。(キム)ジンヒョンさん、(福井)光輝さん、練習から勉強になることばかりです。自分にとってプラスになることしかありません。(上林)豪くんは2つ上ですが、年齢も近いので切磋琢磨していきたいです。ちなみに、セレッソのレディースに妹がいるのですが、WEリーグの最年少スタメン記録を更新(当時)して、世代別代表にも入っているので、3つ年下ですが、刺激になります。「セレッソに行く」と伝えた時は、ビックリしていましたね(笑)。
セレッソに加入して数日が経ちますが、皆さん優しい方ばかりです。挨拶する前は、「怖いのかな?」と思っていたのですが、皆さん歓迎して下さって、とても嬉しかったです。日本代表でプレーしている姿をずっと見ていた(香川)真司さんも意外とラフで、めちゃくちゃ優しかった。ジンヒョンさんも、経験が凄いのに、「よろしくな」と優しく接して下さって、人としても凄いなと感じました。愛媛の時も、森脇(良太)さんや徳重さんがそうでしたが、長くプロでやれる選手は上手いだけではなく、人としても素晴らしい方ばかりだと改めて感じました。今年1年、もちろん試合に出ることを目指して練習に励みます。出たらプロの公式戦では初めてなので、まずはそこを目標に頑張ります。もちろんJ1の厳しさはあると思いますが、レベルの高い環境で、日々の学びを大事にして、成長したいと思います。