PROFILE
プロフィール
- 名前中島 元彦(ナカジマ モトヒコ)
- 生年月日1999/04/18(26歳)
- 出身地大阪府
- 身長/体重170cm / 66kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
サッカーを始めたのは1歳半ぐらいです。5つ上の兄貴の練習に付いていって、始めました。最初にボールを蹴った記憶は覚えてないですけどね(笑)。でも2歳ぐらいでインステップを蹴れていたみたいです(笑)。小さい頃から父と一緒にボールを蹴って、その時に左足でも蹴っていたので、自然と左足でも蹴れるようになっていました。小さい頃からずっとシュート練習はしていました。最初は東淀川FCという地元のチームに入り、小学1年生で吹田南FCに移りました。東淀川FCはあまり試合がなく、吹田南FCの方が試合が多かったのが理由です。自分としては友達もいたので移るのは嫌でしたが、親が試合をさせたかったのだと思います。小学3年生の終わりか4年生になる頃からセレッソのU-12に入りました。父が調べてきてくれて、セレクションを受けました。吹田南FCでやっていた子と一緒に受けて、2人とも受かりました。4年生では大谷武文コーチ、5年生では大畑開コーチ、6年生では竹花友也監督に教わりました。覚えているのは、6年生の代の全国大会で、一つ下の学年の(喜田)陽選手がGKをやっていたこと(笑)。僕たちの代は正式なGKがいなかったので、僕もFWと並行してGKをやっていました。ジュニアの時の写真を振り返ったら、僕や陽がGKをやっている写真が出てきますよ(笑)。ジュニアに入った最初の方は楽しかったですが、6年生の最後の方は苦しかったです。チームの中でも技術は一番上手かったと思いますが、身長が伸びず、足も遅かったので、悩んでいました。U-12からU-15にも自動では上がれず、セレクションを受けました。その結果、合格して上がれました。
-中学~高校-
西U-15に入ったのですが、住んでいる地域によって決められたのだと思います。大阪市内に住んでいたので、U-15でも西U-15でもどっちでも行けたんですけど、練習グラウンドがある尼崎にJR・1本で行けたので、西U-15になったと思います。中学1年生で身長も伸びて、一気に成長しました。元々、足元には自信があったのですが、そこに体格も追いついてきて、サッカーが上手くなった感覚がありました。1年生では再び大畑コーチに教わりました。この人がテクニック系の人だったので、そこで技術も磨きました。西U-15時代で覚えているのは、3年生の時に5番を付けたこと。ポジションはFWやったのですが、佐藤貴則監督から、「もっと守備もして欲しい」という理由で5番になりました。嫌でしたが覆らなくて、5番を付けました(笑)。中学3年間は、FWやトップ下、ボランチと、真ん中は全部やりました。この3年間は、もちろんトップチームの試合もスタジアムで見ていましたよ。プロには昔から「なれるやろ」とずっと思っていました(笑)。一度だけ、6年生の時に揺らぎましたけど(笑)。
U-18では、高校1年生からプレミアリーグでベンチに入って、最後の方は試合にも出ました。ただ、やっぱり3年生との違いはありましたね。体格も違いますし。でも慣れたら多少はできました。大熊裕司監督の練習は、めちゃくちゃキツかったです。高体連も含めて日本一キツかったと思いますよ(苦笑)。人柄的には、厳しさの中にも優しさがある方でした。2年生になって、U-23ができたので、大熊(裕司)さんがU-23の監督になって、U-18は村田(一弘)さんが監督になりました。村田さんの練習もめちゃくちゃキツかったです。高2の最初はプレミアリーグに出て、僕と(舩木)翔で得点王争いをしていました。僕が左サイドハーフで、翔が左サイドバック。左サイドから、めっちゃ点を取っていました。途中からU-23の練習に行くようになり、第9節の鹿児島ユナイテッドFC戦でJ3デビューしました。アウェイだったので、飛行機で行ったことを覚えています。隣が(丸岡)満くんでした。3年生では、U-23の練習に行くことが多く、J3で10試合に出て3得点を取りました。初ゴールも鹿児島戦でした。ホームのヤンマースタジアム長居で、椋原健太さんのクロスにヘディングで決めました。上本大海さんに競り勝ちました(笑)。この翌日、クラブユース選手権を戦っているU-18に陽と合流して、試合にも出ました。「さすがに試合には出ないやろ」と思っていたのですが、途中出場しました。しかも点を決めて、それが決勝点になって勝ちました(笑)。高校時代は中学時代ほど劇的に伸びた感覚はありませんが、J3でプレーして自信は付きました。ポジションは(4-4-2の)左サイド(ハーフ)が多かったです。
-プロ以降-
プロ1年目はトップチームでは出られず、練習もずっとU-23でした。J3で31試合7ゴールを取りましたが、プロになったからには、J3で活躍できても満足はしていませんでした。最終節、アウェイでの大阪ダービーで1ゴール1アシストしたことを覚えています。2年目もトップには関われず、J3で試合に出て、34試合9ゴールという結果を残しました。この年もアウェイのダービーで決めました。試合終了直前、決勝点になった直接FKでした。このゴールは気持ち良かったですね(笑)。プロ3年目はロッカーもトップチームに移って、やらないといけない思いは増していましたが、コロナもあって試合がなく、その状態で夏にアルビレックス新潟から話をもらって、(育成型)期限付き移籍することになりました。最初はあまり乗り気ではなかったのですが、強化部長の方が大阪まで会いに来てくれて、熱心に誘ってくれたこともあり、行くことに決めました。新潟に着いた翌日の練習に参加して、すぐ試合にも出ました。最終的にはJ2で35試合に出て、良い経験が積めました。J3でずっと出ていたので、J2でも感覚としてはそんなに変わらずプレーできました。アルベル監督からは「自信を持ってやれ。迷うことはない」と言っていただいたので、自信を持ってやれました。ポジションは右サイドハーフが多かったです。
プロ4年目はレヴィー クルピ監督になるということもあり、セレッソに戻って来ました。キャンプの練習試合ではスタメン組に入るなど、期待してもらっていました。4月にクルピ監督がコロナになり、小菊昭雄監督が代行で指揮を執った第9節のアビスパ福岡戦でJ1初ゴールを決めました。左足で良いシュートを打てたので、めっちゃ覚えています。その少し後、ホームの大阪ダービーでも決めました。ただ、無観客だったので寂しかったですね。試合としても追いつかれて同点で終わったので、喜びもあまりなく(苦笑)。点を決めた2試合はどちらも引き分けでした。プロ4年目はJ1で12試合2ゴール。1・2年目に比べたら数字は残せましたが、途中でケガをしてレギュラーは掴めず、クルピ監督が退任してからは試合にもあまり出られずに終わりました。2022年は初めて13番を付けたシーズンでしたが、試合には出られず、ベガルタ仙台に(育成型期限付き移籍で)行くことになりました。新潟の時と同様、最初はあまり行く気はなかったのですが、小菊さんと話をして行く決断に至りました。そこから仙台では3年間お世話になりました。一言では語れない期間になりましたが、人間として成長できたと思います。年齢的にも少しずつ大人になっていった時期で、特に3年目の昨シーズンはそういう成長がプレーにも出たのかなと思います。
仙台では1年目からJ2リーグで33試合に出て4ゴール7アシスト。サポーターが選ぶMVPにも選んでいただきました。ポジションはボランチでした。2年目の2023年は7番を提案されました。ベガルタ仙台にとって特別な番号だったので、一度は断ったのですが、自分を獲りに来てくれた強化部長の平瀬(智行)さんから、「7番を付けて欲しい。チームとしても満場一致の意見だから」と言っていただいて、最終的には付けることになりました。ただ、この年は勝てずに苦しみました。自分もあまり良いプレーはできず、32試合に出て6ゴールは取れましたが、試合には出たり出なかったりでした。ポジションはトップ下やシャドーでした。仙台で3年目の2024年は、13ゴール5アシストと3年間で一番良い結果を残せました。ゴリさん(森山佳郎監督)が、「活躍して来い!」という場を作ってくれたのだと思います。声がけや選手を乗せるのが上手い監督でしたね。J1昇格プレーオフにも進出して、準決勝の(V・ファーレン)長崎戦で快勝できたので、勢いを持って決勝にも臨んだのですが、ファジアーノ岡山に0-2で負けてしまいました。岡山にはリーグ戦でもずっと勝っていなかったので、そうした意識もあったのか、何もできずに負けました。プレーオフ決勝が始まるまでは、仙台を昇格させてJ1で仙台を引っ張っていくことを考えていました。3年間プレーして愛着も沸いていたので、ずっと仙台でプレーすることも考えていましたが、岡山戦が終わった後に考える時間があって、これからのサッカー人生を考えた時、仮に仙台でプレーし続けてキャリアを終えた時、「セレッソに戻っていたら、どうなっていたんだろう?」という思いは絶対にするだろうと考えたんです。だから後悔はしたくないな、と。初めて13番を付けた2022年も試合に出られず悔しい思いをしたので、セレッソで13番を付けて活躍したい気持ちもありました。それにセレッソには幼少期から育ててもらって、ハナサカクラブにも遠征費を支援してもらっていたことも理解しています。そんなセレッソに自分はまだ恩返しできていなかった。そういった思いもあり、最後は「もう一回セレッソで勝負しよう」という気持ちになりました。仙台の監督、チームメイト、サポーターの皆さんには本当に感謝しています。
覚悟を持ってセレッソに復帰した昨シーズン、多くの試合には出ましたが、満足はできなかったです。もっとやらないといけない、というのが率直な思いです。今年はプレーの内容もそうですが、結果が欲しい。自分が目指している所から逆算した時に、もう時間がありません。だからこそ、今年の目標は結果にこだわること。そこにフォーカスしてシーズンを過ごしたいです。セレッソで8番を付けると考えたら、今年活躍しないと来年では遅い。(香川)真司さんに、「この活躍なら、(8番を)あげてもいいよ」と言ってもらえるぐらいの活躍をしたいです。百年構想リーグもタイトルを獲りたいですね。自分がセレッソでプレーしている間にセレッソにタイトルをもたらしたい。(柿谷)曜一朗くんの世代が初めてタイトルを獲って、そこから獲れていないので、自分たちの世代でも獲りたいです。自分が中心となって引っ張って、アカデミーの後輩にも「セレッソ良いな」と思ってもらえるように、自分や(喜田)陽がこれからのセレッソを作っていきたい。サポーターの皆さんには、それを一緒に見届けてほしいと思います。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
もっくん2 利き足
両方3 足のサイズ(cm)
28.04 背番号へのこだわり
挑戦権5 スパイクのこだわり
PUMA6 自分のプレーの特徴
力強い7 遠征に必ず持っていくもの
気持ち8 オフの過ごし方
寝るか麻雀9 ストレス解消法
寝る10 サッカーを始めたきっかけ
兄の影響11 仲の良い選手/理由
藤本寛也/ゲーム友達12 チームメイトの意外な一面:選手名
大畑歩夢/見た目によらずかわいい13 憧れの選手
ロナウジーニョ14 サッカーで一番大切にしていること
毎日全力15 今までで一番悔しかった試合
プレーオフ決勝で岡山に負けた16 もしサッカー選手じゃなかったら
格闘家17 あなたにとってサッカーとは
情熱大陸か!18 今季の目標(サッカー目標)
10ゴール10アシスト19 セレッソ大阪の好きなところ
逆にわからん20 セレッソ大阪のイメージ
ピンク21 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
観客とグラウンドが近い22 どんな応援をされると嬉しい?
個人のチャント23 趣味・マイブーム
麻雀24 自分の性格を一言で!
アホ25 自分を動物に例えると
ゴリラ26 生きていて1番ワクワクする瞬間
役満聴牌27 座右の銘、好きな言葉
神のみぞ知る28 初めての給料の使い道
お母さんの美容院29 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
zorn30 好きな女性のタイプ
面白い子31 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
APEX32 好きな季節/理由
秋/ちょうどええ33 好きな音楽のジャンル
ヒップホップ34 好きな食べ物
カツカレー35 苦手な食べ物
かぼちゃ36 この世で一番好きなもの
サッカー37 この世で一番怖いもの
父親38 今一番会ってみたい人
多井隆晴39 今一番欲しいもの
豪運40 最近のうれしかった出来事を教えてください
スクラッチ買ったら10,000円当たった41 今季の目標(プライベート)
身長を2センチ伸ばす42 ほっとする瞬間
立直後の追っかけ、オープン立直に振り込まない(麻雀)43 日常生活で「自分がサッカー選手だな」と感じる瞬間
足の太さ44 旅行に行くならどこに行きたい?
行きたくない45 住んでみたいところ
日本ならどこでも46 戸建派かマンション派か?
どっちでもいい47 ファン・サポーターへ向けて一言
タイトル取ろうぜ
