PROFILE
プロフィール
- 名前チアゴ アンドラーデ(チアゴ アンドラーデ)
- 生年月日2000/10/30(25歳)
- 出身地ブラジル
- 身長/体重180cm / 68kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
サッカーは6歳から始めました。兄が2人、姉が1人の末っ子ですが、兄2人はサッカーをしていません。僕だけです(笑)。朝から夜まで時間を問わず、父と家の前でボールを蹴っていました。スクールにも入りました。最初は遊びでしたが、時間が経つにつれて、将来サッカー選手になりたい思いに変わっていきました。16歳でキンゼ・ジ・ジャウーのアカデミーに入りました。出身地のサンパウロ州の田舎にあるクラブです。その後、大会で活躍して、17歳でリオデジャネイロ州にあるフルミネンセFCのアカデミーに移籍しました。ブラジルの中でも強豪クラブの一つだったので、嬉しかったです。当時からポジションは左のウィングでした。足も速かったです。プレースタイルはこの時から大きくは変わっていません。18歳の頃、ポルトガルのポルティモネンセSCのU-23に移籍しました。4ヶ月ぐらいでしたが、この経験は難しかったです。海外も初めてで、本当に一人ぼっちという時間も多かった。メンタリティーとしてもまだ若く、海外で活躍する心構えができていませんでした。自分が持っている能力を出し切れず、クラブの力になれませんでした。ここで力を発揮できていたら、ポルティモネンセのトップチームと契約してもらえる可能性もあったのですが、あまり活躍できなかったので、仕方がないです。ブラジルに戻り、ECバイーアのU-20に入りました。U-20のコパ・ド・ブラジルで得点王にもなるなど数字を残して活躍できたので、バイーアでトップチームに昇格して、プロデビューもできました。19~20歳ぐらいの時期です。プロ契約を勝ち取れた時は嬉しかったです。初ゴールはアトレティコ・パラナエンセ戦でした。今でも頭に焼き付いている、思い出に残るゴールになりました。
プロデビューして3ヶ月後、アメリカ(MLS)のニューヨーク・シティFCに移籍しました。シティグループは「将来有望」と言われる若い選手を常に獲得リストの中に入れており、その中に僕も入っていたようです。ニューヨーク・シティではすぐに順応できました。合流してすぐ試合に出て、ゴールも決めることができました。チームの公用語は英語でしたが、通訳もいましたし、南米の選手も多く、チーム内でコミュニケーションも取れたので、それが馴染めた要因の一つだと思います。日常生活にも問題なく馴染めました。住む環境も良く、クラブも支えてくれました。友人も多くできて、妻ともアメリカで出会いました。加入1年目にMLSカップで優勝できました。アメリカは東地区と西地区に分かれているのですが、それぞれの地区で王者を決めて、優勝チーム同士が戦います。いわゆる全米のチャンピオンになれました。加入1年目にタイトルを獲れたことは本当に嬉しかったです。リーグ全体のレベルはブラジルの方が高いとは思いますが、ニューヨーク・シティにはクオリティーの高い選手が揃っていました。2年目もいいシーズンを過ごせました。CONCACAF(北中米・カリブ海サッカー連盟)チャンピオンズリーグで準決勝まで進みました。ニューヨーク・シティでも主に左ウィングでプレーしていましたが、たまに右もやっていました。ほとんどの試合に出ましたし、自分のキャリアにとって大きな2年になりました。ちなみに、2年目にチアゴ・マルチンス選手が加入しました。日本での暮らし、Jリーグのレベルも聞きました。彼が言っていたのは、「住みやすい国で、サッカーのレベルも高い」と。このとき初めて、「日本でプレーしてみたい」という思いが沸いてきました。翌シーズンは、アトレティコ・パラナエンセにレンタル移籍します。途中で監督が交代したこともあり、試合にはあまり出られませんでした。不完全燃焼のままシーズンが終わりました。この後、ニューヨーク・シティに戻る選択肢もあったのですが、当時の監督だと自分は試合に出られないと思ったので、オファーをもらった中国のクラブ(深圳新鵬城足球倶楽部)でプレーすることにしました。監督からも直接、話をいただき、熱意を感じたからです。クラブも僕のことを信頼してくれて、僕もクラブに貢献できた手応えはありました。いいシーズンになりました。
昨シーズンの始めは、まず、ニューヨーク・シティからサンディエゴFCへ移籍します。サンディエゴがMLSに新規参入したことによるドラフトでの指名です。その後、カナダのトロントFCが僕の保有権を獲得しました。自分の知らない所で色んな動きが起きていました(笑)。ただし、この2クラブではプレーしておらず、最終的にはセレッソ大阪からオファーをもらい、昨シーズンはセレッソでプレーすることになりました。先ほども話したように、いつか日本でプレーしたい思いがあったので、セレッソからオファーをもらったときは、迷わず決めました。J1リーグでのプレーは強度に適応することも含め、序盤は苦しみました。ただし、練習や試合を重ねることで日本のサッカーやチームのやり方に対する理解も深めたことで、シーズン中盤からは出場機会も増えて、良いシーズンになった実感があります。攻撃では背後に抜けること、スペースを狙うことを意識したことで、自分の武器であるスピードを生かせたと思います。守備でもプレッシャーの掛け方を監督やコーチに指導していただいたおかげで良くなりました。攻守ともに自分の意識と味方との連係が高まってきたことが、パフォーマンスが上がった要因だと思います。2年目となる今シーズンは、昨年やってきたことを継続しながら、ゴール前での決定力など、より質を高めていきたいです。さらに成長できる手応えはあるので、昨年の経験を生かして、今年はもっと良いシーズンにしていきたいです。プライベートでも、すっかり日本に慣れました。とても過ごしやすい国です。家族も日本を気に入っていますし、全く不安なく生活できています。ハットンとブエノがチームを離れたことは寂しさもありますが、彼らのキャリアを尊重して、応援したいと思います。ルーカスもいますし、通訳の皆さんもいますので、毎日、笑いながら過ごせていますよ(笑)。
