PROFILE
プロフィール
- 名前チアゴ アンドラーデ(チアゴ アンドラーデ)
- 生年月日2000/10/30(24歳)
- 出身地ブラジル
- 身長/体重180cm / 68kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
サッカーは6歳から始めました。兄が2人、姉が1人の末っ子ですが、兄2人はサッカーをしていません。僕だけです(笑)。朝から夜まで時間を問わず、父と家の前でボールを蹴っていました。スクールにも入りました。最初は遊びでしたが、時間が経つにつれて、将来サッカー選手になりたい思いに変わっていきました。16歳でキンゼ・ジ・ジャウーのアカデミーに入りました。出身地のサンパウロ州の田舎にあるクラブです。その後、大会で活躍して、17歳でリオデジャネイロ州にあるフルミネンセFCのアカデミーに移籍しました。ブラジルの中でも強豪クラブの一つだったので、嬉しかったです。当時からポジションは左のウィングでした。足も速かったです。プレースタイルはこの時から大きくは変わっていません。18歳の頃、ポルトガルのポルティモネンセSCのU-23に移籍しました。4ヶ月ぐらいでしたが、この経験は難しかったです。海外も初めてで、本当に一人ぼっちという時間も多かった。メンタリティーとしてもまだ若く、海外で活躍する心構えができていませんでした。自分が持っている能力を出し切れず、クラブの力になれませんでした。ここで力を発揮できていたら、ポルティモネンセのトップチームと契約してもらえる可能性もあったのですが、あまり活躍できなかったので、仕方がないです。ブラジルに戻り、ECバイーアのU-20に入りました。U-20のコパ・ド・ブラジルで得点王にもなるなど数字を残して活躍できたので、バイーアでトップチームに昇格して、プロデビューもできました。19~20歳ぐらいの時期です。プロ契約を勝ち取れた時は嬉しかったです。初ゴールはアトレティコ・パラナエンセ戦でした。今でも頭に焼き付いている、思い出に残るゴールになりました。
プロデビューして3ヶ月後、アメリカ(MLS)のニューヨーク・シティFCに移籍しました。シティグループは「将来有望」と言われる若い選手を常に獲得リストの中に入れており、その中に僕も入っていたようです。ニューヨーク・シティではすぐに順応できました。合流してすぐ試合に出て、ゴールも決めることができました。チームの公用語は英語でしたが、通訳もいましたし、南米の選手も多く、チーム内でコミュニケーションも取れたので、それが馴染めた要因の一つだと思います。日常生活にも問題なく馴染めました。住む環境も良く、クラブも支えてくれました。友人も多くできて、妻ともアメリカで出会いました。加入1年目にMLSカップで優勝できました。アメリカは東地区と西地区に分かれているのですが、それぞれの地区で王者を決めて、優勝チーム同士が戦います。いわゆる全米のチャンピオンになれました。加入1年目にタイトルを獲れたことは本当に嬉しかったです。リーグ全体のレベルはブラジルの方が高いとは思いますが、ニューヨーク・シティにはクオリティーの高い選手が揃っていました。2年目もいいシーズンを過ごせました。CONCACAF(北中米・カリブ海サッカー連盟)チャンピオンズリーグで準決勝まで進みました。ニューヨーク・シティでも主に左ウィングでプレーしていましたが、たまに右もやっていました。ほとんどの試合に出ましたし、自分のキャリアにとって大きな2年になりました。ちなみに、2年目にチアゴ・マルチンス選手が加入しました。日本での暮らし、Jリーグのレベルも聞きました。彼が言っていたのは、「住みやすい国で、サッカーのレベルも高い」と。このとき初めて、「日本でプレーしてみたい」という思いが沸いてきました。翌シーズンは、アトレティコ・パラナエンセにレンタル移籍します。途中で監督が交代したこともあり、試合にはあまり出られませんでした。不完全燃焼のままシーズンが終わりました。この後、ニューヨーク・シティに戻る選択肢もあったのですが、当時の監督だと自分は試合に出られないと思ったので、オファーをもらった中国のクラブ(深圳新鵬城足球倶楽部)でプレーすることにしました。監督からも直接、話をいただき、熱意を感じたからです。クラブも僕のことを信頼してくれて、僕もクラブに貢献できた手応えはありました。いいシーズンになりました。
今シーズンの始めは、ニューヨーク・シティからサンディエゴFCへ移籍します。サンディエゴがMLSに新規参入したことによるドラフトでの指名です。その後、カナダのトロントFCが僕の保有権を獲得しました。自分の知らないところで色んな動きが起きていました(笑)。ただし、この2クラブではプレーしておらず、最終的にはセレッソ大阪からオファーをもらい、今シーズンはセレッソでプレーすることになりました。先ほども話したように、いつか日本でプレーしたい思いがあったので、セレッソからオファーをもらったときは、迷わず決めました。開幕して数試合プレーしましたが、Jリーグは非常に競争力が高く、アメリカや中国より遥かに難しいリーグだと感じています。まず、強度が高い。フィジカル的にしっかりフィットしていないと、戦えるリーグではありません。自己管理が必要で、アスリート能力も求められます。昨シーズンの年末にケガをした影響で、今シーズンの最初は合流が少し遅れましたが、日に日にコンディションは良くなっています。チームやサポーターの皆さんの期待に応えたいですし、スピードもお見せしたいと思います。ニューヨーク・シティでの1年目のように、セレッソでもタイトルを獲りたいです。チームが一つになって、同じ気持ちで戦い続けることができれば可能だと思っています。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
チアゴ2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
27.54 背番号へのこだわり
背番号はいろいろな番号をつけてきたから特にこだわりはない5 スパイクのこだわり
軽いもの6 試合前に必ずすること
ウォーミングアップとお祈り7 自分のプレーの特徴
スピードとドリブル8 遠征に必ず持っていくもの
iPad9 オフの過ごし方
家族と外出10 ストレス解消法
友達と話す11 サッカーを始めた年齢
6歳12 サッカーを始めたきっかけ
自然に遊びでサッカーを始めた13 仲の良い選手/理由
タレス選手/アメリカで共にプレーしたから14 チームメートの意外な一面/内容
これから探します!15 憧れの選手
ネイマール選手16 サッカーで一番大切にしていること
チームメイトへの信頼感17 今までで一番嬉しかった試合
2020年 対アトレチコ・パラナエンセ戦 プロとして初ゴールを決めた試合18 今までで一番悔しかった試合
MSL 準決勝 対フィラデルフィア戦19 将来の夢(サッカー面)
ブラジル代表20 もしサッカー選手じゃなかったら
わからないなぁ…21 あなたにとってサッカーとは
パッション22 今季の目標(サッカー目標)
リーグ優勝23 セレッソ大阪の好きなところ
チームメイトの明るいところ、サポーターの熱気24 セレッソ大阪のイメージ
チームメイトの明るいところ、サポーターの熱気25 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
サポーターの近さ26 どんな応援をされると嬉しい?
個人のチャント27 趣味・マイブーム
映画鑑賞28 自分の性格を一言で!
謙虚29 自分を動物に例えると
鷹30 生きていて1番ワクワクする瞬間
重要な試合の前31 生まれ変わったら何になりたい?
やっぱりサッカー選手かな32 初めての給料の使い道
買い物、家具だったかな…33 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
Racionais34 好きな女性のタイプ
奥さん35 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ロング派36 好きなマンガ・アニメ・好きなTV番組・ YouTubeチャンネル
Batalha de Rima37 好きな季節/理由
夏/海やプールが楽しめる38 好きな音楽のジャンル
ファンク39 好きな食べ物
フェイジョン、シュハスコ40 苦手な食べ物
寿司は食べられません41 この世で一番好きなもの
車42 この世で一番怖いもの
病気43 今一番会ってみたい人
Vin Diesel44 今一番欲しいもの
タイトル45 最近嬉しかったこと
娘が産まれたこと(現在5ヶ月)46 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
友達と遊びまくった47 学生時代に得意だった科目
ない!笑48 ほっとする瞬間
家族と一緒にいる時間49 旅行に行くならどこに行きたい?
ドバイに行ってみたい50 いつもつけている香水(銘柄等)
Caroline Herreira51 ファン・サポーターへひと言
チアゴと呼んで下さい。優勝に向かって一緒に突き進みましょう!