PROFILE
プロフィール
- 名前阪田 澪哉(サカタ レイヤ)
- 生年月日2004/05/11(22歳)
- 出身地京都府
- 身長/体重170cm / 64kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
ずっと京都で過ごしてきました。父がサッカーをしていたので、その影響で、幼稚園の年長から始めました。ただ、サッカーだけではなく、小さい頃からバレーボールや野球など色んなスポーツをしていました。どの球技も得意だったのですが、一番サッカーが楽しかったです。小学校では、地元にあった桂坂サッカークラブJr.に入ってプレーしました。もちろん、監督やコーチもいたのですが、試合で選手の親がポジションを決めたり、自由なチームでした(笑)。自分たちの代は強かったです。伸び伸びプレーしながら試合にも勝つことができて、楽しかったですね。並行して別のスクールにも通っていたので、サッカー漬けの毎日でした。小学生時代から足は速く、アタッカーだったのですが、高学年では後ろのポジションをやることが多く、6年生の最後の大会は3バックの真ん中でした(笑)。
-中学~高校-
中学へは2チームで悩んでいました。小学校時代に自分のパートナー的存在だった友達が進んだところに行こうかなとも思ったのですが、宇治FCジュニアユースの練習に行った時に楽しくて、コーチの方が熱心に誘って下さったので、決めました。一つ上の代が強かったです。自分たちの代は弱かったのですが、チームとして戦うこと、仲間を想う気持ちは宇治FCのおかげで身に付きました。ポジションはサイドハーフやFWでしたが、なかなかゴールを取れずに悩んでいました。中3の最後の大会ではボランチでした。ボランチは初めてプレーしました。中学時代は、弱くてあまり攻めることができなかった分、守備の時間が多かったので、守備の力が付いたと思います(笑)。プロサッカー選手になりたい思いはありましたが、当時は夢のまた夢だと思っていました。大学に行って、その後にプロになれるか、なれないかぐらいのレベルだと思っていました。小さい頃は「プロになる」と言っていた子も、中学になると言わなくなったりしたのですが、自分はたとえ恥ずかしかったとしても、「プロサッカー選手になる」という言葉は常に言っていました。
東山に進んだ高校時代が、自分のスタイルを作る上で大きかったです。この時も、先ほど話した、小学校時代に自分のパートナー的存在だった友達が進んだ高校と悩んだのですが、福重(良一)監督が呼んで下さって東山の練習に参加した時、先輩が優しかったのと、うまい選手が多く、レベルの高いところでプレーしたいと思って決めました。中学時代には来なかったようなパスが来たり、やり易さを感じました。セレッソのU-15出身の選手も多く、みんな技術が高かったです。中学ではあまり点が取れなかったのですが、高校では点も取れるようになりました。忘れていた感覚を引き出してもらいました。高校では、最初からサイドでプレーしようと思っていました。スピードには自信があったのですが、自分の特長を生かしてくれる仲間と出会えたことは、ありがたかったです。試合には最初から絡むことができ、1年で選手権予選に出場できました。ただ、1年の決勝は京都橘に負けました。自分たちをハツラツとプレーさせてくれた3年生が負けて泣いている姿を見て、ここからより頑張らないといけない思いになりました。2年のインターハイ予選の決勝でも再び京都橘と当たったのですが、PK戦で勝てました。昨年の3年生の思いももってやろうと思って臨みました。2年では、インターハイ、選手権ともに全国ベスト8で青森山田と対戦して負けました。インターハイでは、自分も最初はベンチで後半勝負、前半は守備重視のゲームプランで臨んだのですが、上回る攻撃をされて、レベルの差を感じました。選手権では日本一を目指していたのですが、その中で再び青森山田に負けました。先制して逆転されたので、悔しかったですね。ただ、この選手権で活躍できたことで、プロへの道が開けたと思います。
セレッソには、2年の夏にも一度、練習参加させてもらったのですが、この時は東山の何人かで参加しました。ここではあまりいいプレーはできなかったですが、その後の選手権で活躍できたことで、正式に声をかけて頂きました。最初、東山の監督から話を聞いたのですが、ビックリしました。小さい頃から「プロサッカー選手になる」夢や目標をもって頑張ってきたので、すぐに決めました。早い段階でプロ内定が発表されたことで、3年は対戦チームの自分へのマークが厳しくなり個人的には苦しかったです。相手は警戒してきて、複数のマークに付かれ、ドリブルも止められる場面が多かった。サイドの選手として仕掛けられず、メンタル的にも苦しんだ1年でした。ただ、点は取れていたので、結果にこだわる意識は強くなりました。中というか、FWでプレーすることもありました。FWは裏への抜け出しなど、スピードの特長も出しやすかったので、感触としては良かったです。自由に動ける分、サイドよりフリーで仕掛ける機会も増えました。3年間、意識していたのは、毎日の練習に全力で取り組むことです。キツイ練習もありましたが、東山は一体感を大事にしていたので、全員で苦しいことも乗り越えることができました。新チームになってから、日本一という目標を掲げていましたが、インターハイの前とかチームとしても苦しい時期があり、インターハイでも結果を出せなかったのですが、選手権では準優勝という形で3年間を終えることができました。決勝で負けて悔しい気持ちもありましたが、苦しい時期を乗り越えたからここまで来られたと思うし、最後に国立でできたことは良かったです。
-プロ以降-
高校卒業後、何も分からず飛び込んだプロの世界でしたが、セレッソ大阪という素晴らしいクラブで経験を重ねることで、プロの世界がどういうものか、少しずつ理解できるようになってきました。1年目は、ルヴァンカップのアウェイ京都サンガF.C.戦でプロデビューできたことが印象的でした。試合には負けてしまったのですが、地元の京都でデビューできたことは、自分にとって大きな経験になりました。その後はフィジカルトレーニングを積み重ねて体を作り、練習試合でも結果を残すことを意識していました。シーズン終盤、今度はリーグ戦でのホーム京都戦で後半から出場する機会があり、その試合ではフィジカルトレーニングを積み重ねてきた成果を少しは出せたので、練習でやっていることは試合にも出ると実感できました。プロ2年目の2024シーズンはリーグ戦でプレーする機会も増えて、日々の練習の成果をより試合で発揮できるようになった手応えもあります。特にホームの大阪ダービーで先発して1-0で勝った試合は強く印象に残っています。どの試合でも勝利は嬉しいですが、大阪ダービーでプレーして勝利した瞬間の喜びは格別でした。
プロ3年目の昨シーズンは監督も代わり、より試合に出ることを意識してシーズンに入りました。パパス監督のサッカーはプレーしていても楽しいですし、ウィングに求められることも明確なので、スピードや推進力といった自分の武器を生かしてゴールに向かう姿勢を発揮することを心掛けました。大阪ダービーでの開幕スタメンに選んでいただいたことは、とても嬉しかったです。チームとしてキャンプから積み上げてきたサッカーを発揮して勝てたことは自信になりました。ただ、自分としては、得点を決める大きなチャンスもあったので、決めたかった悔しさも残りました。第18節のアビスパ福岡戦で、プロ初アシストができました。目に見える結果を残せて嬉しかったですし、やっとチームの勝利に貢献できた気持ちがありました。その次の試合は(北野)颯太の壮行試合で自分も途中から出たのですが、ケガで交代となり、悔しかったです。最後まで颯太と一緒にやりたかった。寮でもずっと一緒にいたので、颯太の海外移籍は寂しさもありましたが、応援する気持ちも強かったです。颯太が日本代表に選ばれたことは素直に嬉しかったですし、刺激にもなりました。
自分の特長をもっと出して、チームに貢献したい思いが増した中で迎えたプロ4年目の今シーズンは、プレーの内容もそうですが、より結果にこだわる気持ちが強いです。チームのスタイルであるアタッキングフットボールに自分も貢献したい。ウイングのポジション争いは激しいですが、先発を目指すことはもちろん、途中から出たとしても流れを変える役割を果たしたいです。今年は(大迫)塁も戻り、ウィギ(金本毅騎)も入ってきたので、04世代でチームを引っ張っていきたいです。
