PROFILE
プロフィール
- 名前ラファエル ハットン(ラファエル ハットン)
- 生年月日1995/11/29(29歳)
- 出身地ブラジル
- 身長/体重177cm / 82kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
サッカーを始めたのは7歳で、いわゆるストリートサッカーです。その後、サッカースクールにも通いました。12歳でサンパウロ州にあるクラブに所属し、寮に入り、一人暮らしを始めました。ある日、サンパウロFCのアカデミーと練習試合があって、2-4で負けたのですが、僕は2点を決めました。それでサンパウロに評価してもらい、「2週間ほどウチに来てみないか?」という話をもらい、一緒に練習して、テストに合格しました。まさか合格するとは思っていませんでした(笑)。サンパウロのユースと言えば、当時も今も、ブラジルでも有数の育成組織です。3年間、サンパウロのユースに所属して、16歳の時にポンチ・プレッタのユースに移籍しました。その3ヶ月後、17歳でトップチームに昇格し、プロとしてデビューしました。あっという間に環境が変わりました。プロになって、マラカナンスタジアムでもゴールを決めました。ただし、プロになったばかりのこの時期、環境の劇的な変化に対し、有頂天になってしまったんです。夜遊びなど規律が乱れて間違った道に行ってしまい、選手としてのパフォーマンスも下がりました。「将来有望」と言われるブラジルの若い選手には、周りにたくさんの大人が寄ってきます。そこで道を間違えてキャリアを棒に振ってしまう選手が多いことはブラジルサッカー界が抱える問題でもあります。特に裕福ではない家庭で育った場合、突然お金を手にして、そうなることが多い。自分自身、当時は周りから「将来有望」と言われてチヤホヤされて、自分で自分をコントロールできなくなりました。その後はレンタルで色んなクラブを転々とする時期が長く続きました。代理人の方もチームを移すことで自分がお金を稼げるので、選手を移籍させたがります。結局、どのチームにも長く在籍できない状況でした。今、振り返ると、失った5年間だったと思います。23歳ぐらいまで、サッカー選手として厳しい状況が続きました。この間、20歳ぐらいの時期に「サッカーを辞めよう」と思ったこともありました。ちょうどそんな時にアルビレックス新潟から(期限付き移籍の)話が来たんです。先が見えない状況の中、違う国の文化に触れた経験は大きかったです。彼女をブラジルに残し、一人で日本へ行ったのですが、「これから自分はどうなるのか。ここから這い上がっていけるのか」と考える時間も長く、「このままではダメだ」とメンタリティーが大きく変わりました。半年でブラジルに戻ったのですが、新潟に行く前の自分とはまるで中身が違いました。人生を変えたくて、代理人の方にも、「2、3年、しっかり契約してくれるクラブでサッカーに打ち込みたい」と伝えました。セレッソに加入後、新潟で試合があり、そこでJ1初ゴールを決めることができました。スタジアムに着いた瞬間、様々な思いがフラッシュバックしました。10年前に所属した新潟の地で初ゴールを決めたことは、まさに運命としか言いようがありません。自分にとって、忘れられないゴールになりました。
話を当時に戻すと、新潟から帰ってからも、ブラジルや韓国でいくつかのクラブを渡り歩いたのですが、2018年、ウクライナのクラブに移籍することになりました。ここが一つの転機でした。「ここから人生を変えていこう」と強く思いました。サッカー選手として、自分にはそれなりに能力があると思っていましたし、この頃はまだ23歳だったので、成功するための時間は残されていると思いました。正直、ウクライナでは、環境も含めて色んな意味で難しかったです。ただ、「這い上がっていきたい」という強い気持ちがあったので、ここから物事が好転していきます。ウクライナでの経験も「困難」と捉えるのではなく、「チャンス」と捉えました。この経験があったことで、どういう状況に追い込まれても、乗り越えられるようになりました。次にプレーしたスロバキアのクラブでは、リーグ戦で3回、カップ戦で2回、優勝しました。国内では敵なしの、一番大きなクラブでした。欧州チャンピオンズリーグにも出場しました。スロバキアでプレーした時期に、ウクライナにも一緒に来てくれて、昔からずっと付き合っていた彼女と結婚しました。海外で暮らす難しさはありましたが、結婚したことで生活は落ち着きました。この時期、第一子となる娘も生まれました。出産のため、妻はブラジルに戻り、自分もその後、会いに行きました。2ヶ月になったばかりの頃でした。ただし、この時期、コロナが流行り、その後は10ヶ月、家族と会えない時期が続きました。次に娘と会ったのは、ちょうど1歳になった時でした。娘は僕を見ても父とは思ってくれず、辛い思いをしました(苦笑)。
スロバキアで2年7ヶ月プレーした後、フランスのトゥールーズFCに移籍します。この時、実はサウジアラビアからもオファーがあり、金銭的にはサウジアラビアの方が魅力的でした。自分としては、「そちらに移籍した方がいいのでは」という思いもありました。というのも、自分は決して裕福な家庭に育ったわけではなく、自分の収入で家族を支えていく必要があったので、最初はサウジアラビアに移籍しようと思っていたんです。ただ、今、振り返ると、フランスに移籍したことは正しい選択だったと思います。一つ、面白い話があります。スロバキアで住んでいたマンションには絵がかかっていたのですが、それがフランスに関連する絵だったんです。妻も「フランスに行った方がいいというお告げかもね」と言っていました。クラブに入る移籍金はフランスの方が高かったので、クラブの会長はフランス行きを勧めてきました(笑)。最終的には1ヶ月ぐらい悩み、最後は自分で決めました。フランスでは、素晴らしいキャリアを過ごすことができました。1シーズン目に2部リーグで優勝して1部に昇格、2シーズン目はフランス杯で優勝できました。ネイマール、メッシら錚々たる選手がいるレベルの高いリーグで活躍できたことは、自信になりました。フランス杯のタイトルを獲った瞬間は、「ついにここまで這い上がることができたんだ!」と、心の底から喜びが湧いてきました。このためにここまで苦しんできたんだと、感極まりました。決勝の相手はFCナントで、フランスで一番大きなスタジアムが舞台でした。満員の観衆で埋まった中、妻も娘も来てくれました。トゥールーズにとっても初のタイトルだったので、優勝した後、チームはお祭り騒ぎでした(笑)。キャリアの中でも最高の瞬間でした。ブラジルでは全くタイトルに縁がなかったのですが、こうしてフランスで優勝を経験できたことは、辿ってきた道のりを考えると、奇跡のような出来事でした。フランスでは、ピッチ内外ですぐ馴染むことができました。年齢的にも脂が乗っていて、パフォーマンスも良かったですし、家族も一緒で精神的にも安定していました。1年目、加入2試合目で2点を取ったのですが、ヒールキックで決めたゴールがあって、その後、サポーターが陣取るゴール裏に行って、サポーターのサングラスを取ってかけて、ポーズを取ったんです。それが歴代のゴールパフォーマンスの中でもナンバーワンと言ってもらえるぐらい、気に入ってくれました(笑)。フランスでの2シーズンは、自分のサッカー人生が変わった最高の2年間でした。
その後、ブラジルに戻り、ECバイーアでプレーしました。ここでの2シーズンは思うように試合に出られなかった悔しさがあります。試合に出ればやれる自信はあったので、悔しかったです。今年、セレッソから話が来た時は嬉しかったです。代理人にも、「日本でいつかまたプレーしたい」という思いは伝えていましたし、日本でもう一度プレーしたい思いは強かったので、日本に行くことを決断しました。今、とても嬉しいですし、その決断は間違っていなかったと思います。家族やサポーターのために、もっともっといいプレーを見せたいです。自分が獲ったタイトルは全てブラジル国外です。セレッソでもタイトルを獲れたら最高です。ハードワークして、クラブの歴史に名を残したいと思っています。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
ハットン2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
27.54 背番号へのこだわり
21番をつけていた時はいつもいい結果が出ていたので個人的に好きです5 スパイクのこだわり
軽いのが良い6 試合前に必ずすること
お祈り7 自分のプレーの特徴
フィジカルの強さと得点感覚8 遠征に必ず持っていくもの
読書の用の本、足の疲労回復の器具9 オフの過ごし方
家族と外食、観光10 ストレス解消法
家族と過ごす事11 サッカーを始めた年齢
7歳12 サッカーを始めたきっかけ
自然にサッカーを始めていた13 仲の良い選手/理由
チアゴ サンターナ選手/ブラジルで一緒にプレーしたことがあり、今回セレッソ加入が決まった後もいろいろと話を聞いたから14 チームメートの意外な一面/内容
合流したばかりなのでこれから探っていきます!/15 憧れの選手
ロナウド選手16 サッカーで一番大切にしていること
規律17 今季対戦が楽しみなチーム/理由
浦和レッズ/浦和のサポーターの応援を体験してみたい。また友人のチアゴサンターナとの対戦にもなるから18 今までで一番嬉しかった試合
2023年ツールーズにいた時のフランスカップ決勝。優勝したから19 もしサッカー選手じゃなかったら
全くわからない20 あなたにとってサッカーとは
パッション21 今季の目標(サッカー目標)
タイトル獲得、ゴールを決める!22 セレッソ大阪の好きなところ
ピンクのユニフォーム23 セレッソ大阪のイメージ
とてもスタッフ・環境がいい24 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
観客席が近い!25 どんな応援をされると嬉しい?
個人のチャントが早く聞きたい26 趣味・マイブーム
家族と一緒に過ごすこと27 自分の性格を一言で!
真面目28 自分を動物に例えると
ライオン29 生きていて1番ワクワクする瞬間
家族と何か楽しむ予定をたてている時30 生まれ変わったら何になりたい?
特になし31 座右の銘、好きな言葉
常に全力32 初めての給料の使い道
母に仕送りして残りのお金で当時流行っていたスニーカーを買った33 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
シュミット34 好きな女性のタイプ
妻みたいな人35 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ショート派36 好きなマンガ・アニメ・好きなTV番組・ YouTubeチャンネル
ドラゴンボール37 好きな季節/理由
夏/喜びと幸せを一番感じるから38 好きな音楽のジャンル
パゴージ、ゴスペル39 好きな食べ物
シュハスコ40 苦手な食べ物
好き嫌いなしです!41 この世で一番好きなもの
ご家族と一緒に過ごす事42 この世で一番怖いもの
高いところ43 今一番会ってみたい人
ロナウド44 今一番欲しいもの
妻が癌の治療をしているので彼女の健康を心から願っている45 最近嬉しかったこと
娘と過ごす時間46 引退後にやってみたいこと
サッカーの代理人かな…47 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
子供らしくたくさん遊んだ48 学生時代に得意だった科目
体育のみ49 ほっとする瞬間
シーズンオフでくつろいでいる時50 旅行に行くならどこに行きたい?
アメリカのディズニーランド51 いつもつけている香水(銘柄等)
Roja52 ファン・サポーターへひと言
ハットンと呼んでください。たくさんゴールを決めて優勝に向かって突き進みます!一緒に闘ってみんなにとっていいシーズンにしましょう!