ルーカス フェルナンデス
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77
MF

LUCAS FERNANDES

ルーカス フェルナンデス
  • 年齢32
  • リーグ戦
    総出場試合数
    206

PROFILE
プロフィール

  • 名前ルーカス フェルナンデス(ルーカス フェルナンデス)
  • 生年月日1994/04/23(32歳)
  • 出身地ブラジル
  • 身長/体重174cm / 66kg
  • ポジションMF

PLAYER'S HISTORY
インタビュー

<2026年4月16日 更新>
-幼少期-

サッカーは小さい頃からやっていました。地元のスクールに入って、気付いたら始めていました。兄もサッカー選手になりたい夢があり、自分もその夢を追いかけることになりました。ただ、兄はサッカー選手になれなかった。兄のためにも自分はサッカー選手になると心に決めました。自分がサッカー選手になれた時、兄も父もみんな喜んでくれました。家族の夢を叶えることができたことは嬉しかったです。


-学生時代~プロ以降-

とはいえ、サッカー選手になることは簡単ではありませんでした。学生の頃、ヴィトーリアのアカデミーのテストを受けて合格したのですが、そこではあまり認められているとは思えず、サッカーを辞めようと思い、一度家に戻りました。ただ、父が悲しんでいたので思い留まり、続けることにしました。その後、代理人のおかげでCRB(クルーべ ジ レガタス ブラジル)に入ることができました。19歳の頃ですが、ここで初めてプロになれました。セリエCでしたが、ここからサッカー人生が始まりました。サッカー選手として認めてくれた、キャリアの中でも大事なチームでした。それまではトップ下でプレーしていたのですが、この時期に代理人から「サイドをやってみないか」と提案され、サイドでプレーするようになりました。ドリブルが上手く、足も速かったので、「サイドの方が合っているのではないか」と言われてポジションを本格的に変えることにしました。2年目にフルミネンセに移ったのですが、トップチームではありませんでした。そこから色々なチームでプレーして、難しい時期を過ごしたのですが、2016年に期限付き移籍したアトレティコ パラナエンセで初めてセリエAでプレーできました。ここまで辿り着くのは本当に大変でした。サッカー選手として活躍する夢はもちろん自分も持っていたのですが、父の思いも強かった。兄がサッカー選手になれず、父はその夢を自分に託してくれました。一度サッカーを諦めかけた時も、父の悲しんでいる顔が目に入り、そのおかげで努力できました。セリエAでデビューした瞬間は今でもハッキリ覚えています。夢が叶った瞬間でした。2部・3部でやっていた時は、「自分には何かが足りない」と感じていたのですが、ついに1部に辿り着けたと感慨深かったです。ただ、翌2017年は難しい年になりました。引き続きアトレティコ パラナエンセでプレーしたかったのですが、契約上フルミネンセに戻らないといけなくなった。16年に良い結果を残したことで、「やれる」という手応えもあったのですが、フルミネンセではあまり使ってもらえませんでした。「自分は大丈夫なのかな?」と気持ちも揺らぎました。18年は、最初はパラナ クルーベというクラブに期限付き移籍したのですが、監督が代わり、難しい時期を過ごし、そこからヴィトーリアに期限付き移籍することになりました。ヴィトーリアでは自分のプレーを見せることができて、試合にも出て、日本に行くチャンスも掴みました。この年のヴィトーリアでレオ セアラ選手と一緒にプレーしました。彼とは仲も良かったです。育った環境も似ていたので、接し方も分かっていました。お互い簡単なサッカー人生ではなかったですが、互いにJリーグで成功して、再び同じチームでプレーできたことはとても幸せでした。

2019年に北海道コンサドーレ札幌へ移籍したことは、自分のキャリアにとって非常に大きな出来事でした。「日本でプレーすることは最高だ」と、色んなブラジル人選手から聞いていましたが、その中の一人が、セレッソでもプレー経験があるパブロ(フェリペ)です。16年にアトレティコ パラナエンセで一緒にプレーしており、日本に行く前は彼にも話を聞きました。「日本の環境はとても良いよ」と教えてくれました。セレッソに行く前もパブロからメッセージが来て、「セレッソは大きなクラブで大阪の街も素晴らしい。サポーターも熱いし、良いクラブだよ」と言ってくれました。話を戻すと、札幌での1年目は、最初の半年はとても難しかったです。初めてブラジル国外でプレーしたので、慣れることが大変でした。「このまま日本でサッカーを続けるか、ブラジルに帰るか」と葛藤もありました。ただ、辛い時期を乗り越えてからは、「日本から出たくない」と思うようになりました。環境も良いですし、色んなことを学びました。他のブラジル人に「日本はどう?」と聞かれたら、僕も「良い国だよ」と答えます。人間的にも成長できる国です。僕も家族も今では日本を愛しています。妻とは2019年に一緒に日本に来て、この年にプロポーズしました。これからも出来る限り日本でプレーしたいと思っています。

札幌のスタイルは、最初は理解することが難しかったのですが、ミシャ監督(ペトロヴィッチ監督)が、プロサッカー選手としての自分を成長させてくれました。ブルーノ クアドロスコーチも自分がベストを尽くせるよう、指導してくれました。自分のキャリアにおいて、欠かせない2人です。ブラジルでは攻撃的なポジションで、セレッソでもやっているウイングでプレーしていたのですが、札幌ではやり方が違いました。ウイングバックとして、ボールを持てば前に出て得点に関わることが求められた一方、守る時はサイドバックのような役割も求められたので、札幌での1年目は難しかったです。ただ、役割を理解してからは上手くプレーできたと思います。ピッチ外では、ブラジルは暑いので、最初は札幌の寒さにビックリしました(笑)。雪も初めて見ました。札幌ではお寿司が好きになり、毎日のように馴染みの店で食べていました。

札幌で5年間、素晴らしいシーズンを過ごしましたが、新しい環境で成長したいという思いもあり、2024年に移籍を決断しました。セレッソのことは、対戦していて偉大なチームだと感じていました。ブラジルに戻る選択肢もありましたが、日本に残りたい気持ちが強かったので、セレッソからオファーが来たときは迷わずセレッソを選びました。実際にセレッソに入ってみて、素晴らしいクラブだと感じました。当時の小菊昭雄監督やチームメイトともすぐに良い関係を築くことができ、シーズンの最初から試合に出場できました。アシスト王になれたのも、小菊監督やチームメイトのおかげです。加入2年目の昨シーズンは、監督が代わり、サッカーのスタイルも変わりました。まずはアーサー パパス監督の戦術をしっかりと理解することが重要でした。オフェンシブなサッカーを志向されている監督なので、自分自身もゴールに向かっていく姿勢をより発揮したいと思って臨んだ中、昨シーズンも良いパフォーマンスを示すことはできたと思います。2年連続でアシスト王に輝くことができて、自信にもつながりました。シーズン終盤に負ったケガがなければさらに数字を伸ばせたと思うので残念な気持ちもありますが、昨シーズン残した結果やパフォーマンスについては、満足しています。

前十字靭帯断裂というケガは初めてでした。これだけ長期間、離脱したこともキャリアの中では初めてのことでした。当初はケガした日を思い出さないことはないぐらい辛い時期もあり、状況を受け入れ難い思いもありましたが、その時期を乗り越えて先が見えてきたことで、よりモチベーションは高まっています。日々、良くなっている実感があり、復帰のイメージも湧いてきました。リハビリの過程で支えになったのは、やはり家族の存在です。ケガしてしまったことをプラスに捉えるなら、家族と過ごす時間が増えたことです。特に妻の献身的なサポートにはとても感謝しています。娘の成長の速さも間近で見れて、驚いています(笑)。家族の絆はより深まったと思います。ドクターやトレーナー、チームメイト、クラブのサポートにも感謝しています。サポーターの皆さんにも感謝の気持ちしかありません。ケガする前から素晴らしい応援をしてもらっていましたが、手術した直後に激励の横断幕を掲げてくれて、感動しました。今はもう、1日でも早くチームメイトとプレーしたい気持ちでいっぱいです。ブラジルの親戚や友人も含め、復帰へ向けて支えて下さった全ての人たちの思いに報いたい。その気持ちがモチベーションになっています。リハビリの当初から、「さらに良い自分になって戻る」ことを考えてここまで来ました。再びピッチでプレーできる日を楽しみにしています。



CAREER
経歴

CRB(ブラジル)→フルミネンセ(ブラジル)→ボンスセッソ(ブラジル)→ルヴェルデンセ(ブラジル)→アヴァイー(ブラジル)→アトレチコ パラナエンセ(ブラジル)→フルミネンセ(ブラジル)→アトレチコ パラナエンセ(ブラジル)→パラナ(ブラジル)→ヴィトーリア(ブラジル)→北海道コンサドーレ札幌 ※期限付き移籍→北海道コンサドーレ札幌→セレッソ大阪
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