PROFILE
プロフィール
- 名前阿部 航斗(アベ コウト)
- 生年月日1997/07/31(29歳)
- 出身地新潟県
- 身長/体重186cm / 82kg
- ポジションGK
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年10月29日 更新>
-幼少期-
サッカーは小学校に入るか入らないかぐらいの時期に始めました。きっかけは保育園にアルビレックス新潟の選手がサッカースクールで来てくれたことです。初めてJ1に昇格したタイミングで新潟県全体が盛り上がっていて、友達がやっていたこともあり、僕もサッカーを始めました。低学年の頃はサッカーと並行してバスケットボールもやっていました。親がバスケ好きで、名前の由来もバスケの“コート”です(笑)。「コートがないとバスケットボールもできないから」と(笑)。家にもバスケのゴールがありました。自分以外はバスケ一家です(笑)。小学校では亀田フットボールクラブに入りました。勝負にこだわるチームで、公式戦ではメンバーも固定して、県大会にも出るレベルでした。当時はフィールドプレーヤーでした。6年間の中ではFWの期間が一番長かったです。途中センターバックをやって、最後はボランチになりました。
-中学~大学-
中学校に上がるタイミングで、アルビレックス新潟のジュニアユースのセレクションを受けました。最初はフィールドプレーヤーで受けたのですが、自分の体格と両親の身長を見て、スタッフから、「将来性を見越してGKで取りたい」という連絡が来て、最終試験はGKで受けました。正直、中学でもフィールドプレーヤーをやりたかったのですが、中学からはGKになりました。県内でも上手い子が集まる中で、僕だけ初心者。最初は練習もしんどかったです。同じ学年のもう一人のGKが県内でも有名な子で、最初は練習に付いていけませんでした。ただ、GKコーチに言われるままに練習していたら中学1年生の夏ごろには良くなっていて、秋ごろには北信越のトレセンにも選ばれました。トレセンは初めてだったのですが、周りのGKと比べても意外とやれて、ナショナルトレセンの補欠にも入ったんです。少し評価されたことで、自分の中で自信が付き始めました。今から振り返ると、GKに転向していなかったらプロのサッカー選手にはなれていなかったと思うので、GKとして取ってくれた当時のスタッフには感謝しかないですね。中学でレベルの高い指導を受けることができたことで成長できたのだと思います。そこからはトントン拍子に進みました。中2でナショナルトレセンにも入りました。チームでも中3の試合に中2の夏ごろから出始めました。GKとしてはまっさらな状態だったので、伸びシロが大きかったのだと思います。体もどんどん大きくなって、中学を卒業する頃には184cmぐらい、今と近い身長になっていました(笑)。北信越のリーグでは、ほぼシュートは止めていました。足元はビルドアップでミスもしていましたが、高校1年生になって初めて入ったU-17日本代表がつなぐチームだったので、その時期ぐらいから足元も伸ばしていきました。
高校はアルビレックス新潟のユースに昇格しました。自分たちの代は強かったので、ジュニアユースからそのまま上がった子は多かったです。高1ではU-17のワールドカップに出たことが印象に残っています。飛び級の学年だったので合宿や遠征では自分のことで精一杯だったのですが、ギリギリで滑り込んで本大会のメンバーにも選ばれて、1試合に出ることができました。高1は年代別代表や国体など選抜チームでの活動が多く、あまり所属チームで試合をした記憶はありません。当時、評価されていたのはメンタルです。「肝が据わっている」ということはよく言われていました。あとは、育成年代としてはキック力もあったので、遠くまで蹴れました。高2で2種登録してもらいました。高1で初めてトップチームの練習に参加した時のGKが東口(順昭)さんで、凄すぎて参考になりませんでした。次の年は守田(達弥)選手が新潟に来たのですが、サイズや体つきが違って、守田選手も真似できるレベルではなかったです。練習場がトップチームとユースは真横だったので、当時、練習はトップで週末の試合はユースで出ていました。当時のフィールドプレーヤーの中では、レオ シルバ選手やラファエル シルバ選手のインパクトが強かったです。高3の時にはラファエル ハットン選手もいました。ハットン選手も当時はまだ若く、やんちゃ坊主でしたね(笑)。高校卒業後の進路としては、自分は保留の時期が長く、最終的には「新潟医療福祉大学に行って試合に出つつ、来れる時は特別指定選手としてトップチームに帯同する選択もあるのでは」ということを当時の強化部長に言われました。今でこそ新潟医療福祉大学は強くなりましたが、当時は強くなる前だったので、自分は乗り気ではなかったんです。他の大学の練習参加もして、「来て欲しい」という声ももらったので、その案は断らせていただきました。自分の意思を尊重して下さって、新潟との関係が悪くなることはなかった。僕が高校時代、早川(史哉)選手が筑波大学と新潟を行き来している状態だったので、その縁で筑波大学の練習にも参加させてもらい、入学が決まりました。
筑波大学に入学したことは、中学でGKに転向した時に続き、2つめの転機です。1年の夏からレギュラーとして出ました。同学年に三笘薫、高嶺朋樹、山川哲史がいました。当時から凄い選手でしたが、みんな今ほどの選手ではなかったです。ここまでの選手になったのは大学4年間の努力があったからだと思います。一学年上に鈴木徳真選手、西澤健太選手、二学年上に中野誠也選手、戸嶋祥郎選手がいて、1年次のインカレ決勝では日本体育大学に8-0で勝ちました。ベストGKも受賞しました。2年生では関東大学リーグで優勝しました。当時のチームは、引いてカウンターが戦術。中野選手や三笘のスピードを生かした戦い方でした。ある程度我慢して、来たボールを弾いてセカンドボールを拾って、カウンターで仕留めるサッカーでした。監督からは、ハイボールの処理は任されていたので、クロスの守備範囲を広げることは意識していました。2年生の天皇杯では、ベガルタ仙台とアビスパ福岡に勝ちました。この時のスタメンはほぼプロになるような選手ばかりで強かったですね。大学サッカーは高校サッカーに比べると人気がなく、見てくれる人数も少ない。どう注目してもらうか。天皇杯は多くの人が見ている大会なので、天皇杯に対するモチベーションは毎年高かったです。4年生ではユニバーシアード競技大会で優勝しました。決勝ではブラジルに4-1で勝ちました。ただ、ブラジルと言っても、大学にはそんなに力を入れていなかったので、正直、強くなかったです。ナポリ大会だったので、唯一、イタリアが力を入れているぐらいで、イタリアとは準決勝で対戦してPK戦までいきました。日本代表のメンバーは凄かったですね。田中駿汰選手もいました。決勝では上田綺世選手がハットトリックをしました。4年生の関東大学リーグが開幕した頃に新潟から獲得のオファーをいただいて、その場ですぐ「行きます」と返事をしました。ただ、4年生になるタイミングでのキャンプには新潟から呼ばれず、他のクラブから「興味がある」という話をいただきました。それでも、1年生の頃から三笘、高嶺、山川とは、「自分の育ったクラブに帰りたいよね」という話をしていて、新潟を諦め切れない気持ちもあったので、新潟からオファーを受けた時は即答でした。4人ともユースのクラブでプロになりました。筑波大学での4年間は自分にとって欠かすことのできない期間になりました。同じ歳の選手が高卒でプロになって試合に出られず、カテゴリーを落としたり、サッカーを辞めたりすることもある中で、関東大学リーグはレベルも高いですし、結果として大学経由でプロになったことで上手く成長できたと思います。
-プロ以降-
プロ1年目は出られませんでした。この年に一緒に入った小島(亨介)選手が正GKでした。学年は小島選手の方が一つ上ですが、早生まれなので、同じ代表に入っていました。大学での対戦経験もあります。小島選手はプロ1年目が大分で、2年目に新潟へレンタルで加入しました。同じタイミングで新潟に入団することになり、内心「小島選手が来るのか・・」と(苦笑)。シンプルにシュートを止める技術で負けていました。ただ、当時の小島選手は負傷がちで、小島選手が出られない時は藤田(和輝)が出ていました。2年目は小島選手がケガでキャンプから離脱して自分が開幕スタメンを取りました。途中、復帰した小島選手が出たのですが、ケガが再発してまた自分に戻るという感じでした。1年目、2年目はアルベル監督でした。パブロ マチン監督と同じスペイン人監督です。サッカーのスタイルやシステムは違いますが、GKに対する「このプレーはダメ」という考えは似ています。例えばGKが真ん中にグラウンダーのパスを付けようとして相手に取られることを嫌がる、などです。
プロ3年目は松橋(力蔵)監督になりました。J2で優勝してJ1に昇格できたので、チームとしては良いシーズンになりましたが、自分はリーグ戦での出場がゼロ。小島選手のケガが完治したタイミングでした。プロ4年目、5年目はJ1でプレーしました。自分にとって初めてのJ1。カップ戦が中心でしたけど、レベルも上がり、その中で自分の力がどこまで通用するのかも感じられたので、単純に楽しかったです。ただ、ルヴァンカップは決勝まで行って、天皇杯でも惜しい所まで行ったので、この2年間でタイトルを獲りたかったです。そうすれば、新潟というクラブの歴史も変わっていたと思います。特にルヴァンカップ決勝は悔しかったです。自分のミスもあって失点して、PK戦でも“止めればヒーロー”というシーンで止めることができなかった。試合で味わった悔しさの大きさとしては、いまだにこの試合を超える試合はないですね。
翌年の2025年、ジュビロ磐田へ完全移籍します。新潟には「いて欲しい」と言ってもらい、僕も新潟には感謝していたのですが、ずっと二番手の状態が続き、難しさも感じていました。環境を変えたい思いがあり、25年になるタイミングでジュビロが熱心に誘ってくれたので、移籍を決断しました。前年にJ2に落ちたのですが、カテゴリーは気にしていませんでした。ジュビロにも川島永嗣選手、三浦龍輝選手という素晴らしいGKがいました。どのチームにもレベルの高いGKはいますし、競争はありますが、全試合に出るぐらいの気持ちで行きました。シーズン序盤は試合にも出てチームも上手くいっていたのですが、3連敗したタイミングで代えられました。そのままシーズンも進み、途中でジョン ハッチンソン監督から安間(貴義)監督になり、スタイルも変わりました。僕にとっては初めての移籍。熱心に誘ってもらったことは嬉しかったですし、後悔はしていませんが、学びとなった1年でした。
今年はそのまま磐田で百年構想リーグを戦い、今シーズンからセレッソに期限付き移籍でお世話になることになりました。自分としてはプロ3チーム目ですが、良い指導者に巡り合えたと思っています。稲田康志さん(GKコーチ)は自分のプレーについて的確に指摘してくれます。「こういう考えもあるんだ」というアドバイスを頂いて、それを実際にやってみたら自分の中で好感触になることが多い。色んな指導者と出会うことはGKにとって特に大事ですが、自分の中でかなり良い出会いになっていると感じています。GKは一つのポジションですし、どのチームにも競争はあります。現実的に見て、中村航輔選手はかなり能力の高いGKです。自分の現在地は理解していますし、与えられた立ち位置で良い準備をして、いつ出番が来てもいいようにやっていきたいです。スタジアムの雰囲気はめっちゃ良いですね。新潟時代、2024年の夏にこのスタジアムで試合に出て勝ったのですが、最後は押し込まれてルーカス フェルナンデス選手に決められました。雰囲気に飲まれて終わった感覚がありました。味方としては最高の雰囲気だと思います。1試合でも多くこのスタジアムのピッチに立って、無失点で抑えて勝利に貢献したいと思います。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
アベちゃん、こうくん2 利き足
右足3 足のサイズ
28.54 背番号のこだわり
13を反対にした5 試合前に必ずすること
ストレッチ6 自分のプレーの特徴
ビルドアップ7 遠征に必ず持っていくもの
化粧バッグ8 オフの過ごし方
家でゆっくり9 ストレス解消法
美味しいご飯を食べる10 サッカーを始めたきっかけ
友達の影響11 仲の良い選手/理由
長谷川元希(V・ファーレン長崎)/よく会う12 チームメートの意外な一面/内容
トラビス/寝顔がかわいい13 憧れの選手
イブラヒモヴィッチ14 サッカーで一番大切にしていること
準備15 今までで一番嬉しかった試合
デビュー戦16 今までで1番悔しかった試合
2024ルヴァンカップ決勝17 もしサッカー選手じゃなかったら
親の会社を継ぐ18 あなたにとってサッカーとは
なくてはならないもの19 今季の目標(サッカー目標)
セレッソデビュー20 セレッソ大阪の好きなところ
みんな明るいところ21 セレッソ大阪のイメージ
若い。22 YANMAR HANASAKA STADIUMの好きなところ
サポーターとの距離が近くて雰囲気がいい23 どんな応援をされると嬉しい?
名前を叫ばれる24 おすすめの地元飯
魚介類25 趣味・マイブーム
韓国26 自分の性格を一言で
明るい27 自分を動物に例えると
カバ28 生きていて1番ワクワクする瞬間
試合前29 座右の銘、好きな言葉
楽しむ30 初めての給料の使い道
貯金31 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
B'z32 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
TWICE33 好きな女性のタイプ
目が大きい人34 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ONE PIECE35 好きな季節/理由
夏/天気がいい36 好きな音楽のジャンル
洋楽やHIPHOP37 好きな食べ物
寿司38 苦手な食べ物
キノコ類39 この世で一番好きなもの
友人との再会40 この世で一番怖いもの
地震41 今一番会ってみたい人
TWICEのモモ42 今一番欲しいもの
お金43 最近の悩み
引っ越し44 今季の目標(プライベート)
大阪の街に慣れる45 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
練習46 学生時代に得意だった科目
社会47 ほっとする瞬間
就寝するとき48 日常生活でサッカー選手だと感じる瞬間
コーチングが出る49 旅行に行くならどこへ行きたい
アメリカ50 住んでみたいところ
福岡51 あなたのMBTIは?
起業家52 戸建派かマンション派か
マンション53 ファン・サポーターへひと言
共に闘いましょう!
