PROFILE
プロフィール
- 名前古山 兼悟(フルヤマ ケンゴ)
- 生年月日2002/07/10(24歳)
- 出身地大阪府
- 身長/体重178cm / 74kg
- ポジションRENTAL
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
サッカーを始めたのは小学1年生です。父から「野球かサッカーをするか?」と聞かれて、サッカーを選びました。大阪市SS2001白鷺というクラブチームに入りました。最初は上手い子に付いていくのに必死でしたが、ボールを蹴るのはずっと楽しかったです。このチームは東住吉区にあったので、セレッソのチケットをもらうこともあり、それがきっかけでセレッソの試合を見るようになりました。(香川)真司さんもスタジアムで見て、清武(弘嗣)さんのダンスもスタジアムで一緒にやっていました(笑)。当時のことを考えると、まさかプロとしてセレッソで一緒にやれる日が来るとは思ってもいなかったです。キヨさんとは、特別指定選手だった昨シーズン、一緒にプレーさせてもらいましたが、走ったところにボールが来て、「ヤバっ!」って思いました(笑)。真司さんも、今一緒にやらせてもらっていますが、本当に上手いです。何でも聞いたらアドバイスしていただけますし、色んな経験を聞かせてもらっています。小学生時代に話を戻すと、ポジションはFWをやったり、中盤をやったり、CBもやりました。基本、中央のラインをやっていたのですが、CBをやっても、中盤をやっても、前に行きたがっていました(笑)。なので、最終的にはFWに落ち着きました。点を取るのが好きで、主役になりたがっている子どもでした(笑)。小6の時、「ライフカップ」という大会で、大阪で2位になりました。そこから関西大会にも進んで、そこでも2位になりました。両方の大会で、結構点を取れたことが記憶に残っています。
-中学~大学-
中学からIRIS生野SSというチームに入ります。一つ上の先輩が行っていて、強かったので、入りました。入ったら僕の代にも上手い選手がいて、杉浦力斗という選手とずっと比較されていました。彼は高卒でツエーゲン金沢に行って、今は福山シティFCでプレーしています。Jクラブのアカデミーは考えてもいなかったですね。というか、考えるレベルになかったです。中学3年間は、とにかく走っていました。きつかったですが、みんなでワイワイ楽しく頑張っていました。ポジションはずっとFWで、「どこからでもシュートを打っていけ」と言われていました。
高校は、島根県にある立正大淞南高校に進学します。南(健司)監督からお話をいただいて、厳しい学校とは聞いていたのですが、覚悟を決めて飛び込みました。高校3年間は、今までで一番、苦しかったです。毎日の練習もきつく、3年時はコロナもあって大変な思いをすることもあり…。1年時は、1年生だけが出る中国地方のリーグ戦で得点王になるなど順風満帆だったのですが、1年の終わりに肉離れをして、しばらく離脱することになりました。7ヶ月後に復帰できたのですが、選手権で自分はメンバー外になり、悔しい思いをしました。3年生になって、いよいよ自分たちの代、という年にコロナ禍に見舞われ、インターハイがなくなり、クラスターも発生してプリンスリーグも辞退し、選手権も県予選の決勝で負けました。振り返れば、いいことなしの3年間でしたね(苦笑)。ただ、逆境に負けない精神力、メンタルは手に入れました。ひたむきにやり続けるベースができたのも、この3年間です。自分のプレースタイル的にも、立正大湘南高校のサッカーは縦に速いサッカーだったので、背後に抜けて点を取るスタイルは、この3年間で磨かれました。あと、高校時代のエピソードとしては、高2の夏に林大地選手を知って、「カッコいい」と憧れを抱きました。大阪体育大学の試合を見たきっかけは、高校の先輩に林尚輝という選手がいて、尚輝くんが大体大に進学したので、試合を見に行ったんです。そうしたら、尚輝くんの一つ上に田中駿汰選手と林大地選手がいて、自分も大体大に行きたい思いになりました。プレースタイルとしても、自分と合っているのではないか、という思いもありました。プロには「なれたらいいな」とは思っていましたが、高校卒業時はとても無理で、そういう話は全くなかったです(苦笑)。
大学では、1年時は、教育実習で抜けた先輩の穴を埋める形で試合に出て、リーグ戦で4点取りました。入学時の印象としては、個のレベルは高かったのですが、「案外、通用するな」と思いました。高校時代に南監督から、「ここでやれていたら、大学でもやれる」と言われていましたが、当時は「ホンマかな?」と思っていたのですが、合ってました(笑)。自分のプレースタイルとしては、高校時代に磨いた背後に抜けるプレーに加え、大学では体をうまく使うことも学びました。それがマッチして、2年時に爆発できました。関西学生1部リーグで12試合連続ゴールを取ることができたんです。1年時は外していたシュートが2年になって余裕が生まれたことで、入るようになり、どこへ打っても入る感覚がありました。(連続ゴールは)高校の先輩でもある松田力選手が持っていた記録だったのですが、更新できたことは、自分でも驚きでした。この年は19ゴールを決めて得点王にもなり、自信が付きました。2年の終わりにあったデンソーカップで優勝し、優秀選手にも選ばれて、3年になる前の3月、全日本大学選抜にも選ばれました。サッカー人生の中で、初めて代表と呼ばれるチームに入りました。このデンソーカップで優勝した関西選抜には、1学年上の(奥田)勇斗くん(桃山学院大学)もいて、勇斗くんも優秀選手に選ばれました。明治大学の上林豪も優秀選手に選ばれました。勇斗くんとも豪とも、全日本大学選抜でも一緒になりました。豪とは、小学生時代に市トレセンで一緒になって以来の再会でした。当時のことを、豪は覚えていないと思いますが(笑)。
大学3年の7月に練習生として、FCティアモ枚方との練習試合に出ました。この試合、セレッソはリーグ戦では控えに回っていた選手たちで構成されており、ボランチに原川力さん、鈴木徳真さんがいて、前には上門選手もいて、強かった。この試合の次の週ぐらいにセレッソから「オファーする」と言っていただきました。大学の友達に速攻LINEを送って、親にもすぐ言いました。9月に内定をもらい、めちゃくちゃ嬉しかったですね。プロになれたこともそうですし、それも昔から見ていたセレッソで。ただ、そこから少しプロを意識し過ぎて、味方に要求し過ぎて空回りし、3年の後半はスランプのような状態にも陥りました。4年生になる前は、トップチームの宮崎キャンプにも帯同させてもらいました。特別指定選手としてJリーグデビューも目指していましたが、シーズン中はあまりセレッソの練習にも行けていなかったですし、公式戦に出るには、まだまだ足りないと感じていました。大学でも、教育実習に行ったりケガもあったりして、出場数も減って、関西学生リーグ1部で11点に留まりました。4年時は、慢心ではないですが、周りからはそう見られるような時期もあり、大学の監督やセレッソの強化部の方にも指摘してもらい、「変わらないといけない」と思いました。この時期は本当に苦しかったです。周りの仲間に支えてもらい、乗り越えることができました。もう一度、自分を見つめ直して初心に帰ったことで、シーズンの後半はリーグ戦でハットトリックもできて、再びいい波に乗れました。学生生活最後のインカレでも頑張れました。最後の1年は、仲間のおかげで成長できた年でした。本当に感謝しています。大学在学中には、田中駿汰選手、林大地選手がプレーしていた代の、当時の試合も映像でいっぱい見ました。監督いわく、「大地くんを操っていたのが駿汰くんだった」と。確かに駿汰くんがボールを持っても、相手は誰も寄ってこない。寄せ付けていなかったですね。そんな尊敬する先輩とプロで一緒にやれて幸せです。駿汰くんのパスからゴールを決めることも、今シーズンの目標です。
振り返ると、高校、大学と順風満帆に来たわけではなく、挫折も繰り返してきましたが、泥臭く戦うことは、この7年間で学びました。これから先も苦しい時期はあると思いますが、絶対にヘコたれないメンタルは身に付きました。壁に当たっても、とにかく練習します。技術はさらに高めないといけないですが、ゴールに向かう姿勢だけは負けないようにします。プロでも貪欲に、泥臭く得点を狙い続ける意識で臨んだ昨シーズンは、悔しい1年になりました。出た試合では、少しは点も取れましたが、もっと試合に絡んでコンスタントに点を取って、チームに貢献することが今年の目標です。改善すべき部分にもフォーカスしながら、練習から常に点にこだわって、監督に「コイツいいな」と思ってもらえるまでやり続けたいと思います。
