PROFILE
プロフィール
- 名前喜田 陽(キダ ヒナタ)
- 生年月日2000/07/04(26歳)
- 出身地大阪府
- 身長/体重171cm / 65kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
初めてボールを蹴ったのは幼稚園の年中です。小さい頃はサッカーと野球の両方をやっていました。年長になって、セレッソ大阪のスクールに入ったことがきっかけで、サッカーが一番になりました。セレッソのスクールに入ったきっかけは、家の近くにスクールができたからです。地元の泉大津校に入りました。(飛び級で)小学1年のチームに入れてもらいました。小3の3ヶ月くらい、泉大津アルザスSCというクラブにも入っていました。その後、小3の途中でセレッソ大阪U-12のセレクションを受けて、4年生からはU-12に入りました。うまい子が集まっていたので、より刺激的な環境になりました。当時はドリブラーで、攻撃して点も決めていました(笑)。ボールを蹴るのが楽しくて、土日も含めて毎日、練習していました。U-12に入ってからは、生活の中でサッカーが占める割合が増えました。U-12で(瀬古)歩夢や(鈴木)冬一と知り合いました。2人も含めてうまい子が多く、周りから刺激を受けました。当時のU-12は強かったです。ダノンネーションズカップで準優勝し、マリノスカップという、全国から強いチームが集まる大会でも優勝しました。
-中学~高校-
中学進学と同時に、セレッソ大阪U-15に入りました。技術面では特に劣っていると感じることはなかったですが、フィジカル面は、もっと鍛えていかないといけないと思いました。サッカーの基本技術、体力面は、1年生でかなり伸ばすことができたと思います。金晃正さんに指導してもらったのですが、一つひとつのプレーに対するこだわりもこの時期に身に付きました。キツかったのは、フィジカル練習があった火曜日です。この日はロッカーでもみんな喋る回数は少なかったです(苦笑)。中学時代、最も印象的な大会は、3年の夏に行われたクラブユース選手権です。決勝で西川潤のいた横浜F・マリノスジュニアユースと対戦したのですが、負けてしまい、危機感が生まれました。そこからまた練習にも力が入りました。その悔しさをバネに高円宮杯JFA全日本U-15サッカー選手権大会では優勝できました。決勝でガンバ大阪ジュニアユースに勝ったことも嬉しかったです。3年生では大畑(開)監督に指名されてキャプテンをやりました。特に自分が何かまとめることはなかったのですが、精神的に成長した感じはあります。ポジションは、[4-1-4-1]のインサイドハーフでした。3年では、CBに同じ年の歩夢と石尾崚雅がいて、一つ年下の(西尾)隆矢が右サイドバックで(松本)凪生がアンカー。冬一が右のウィングにいました。中2の時、一つ上の先輩に池田昌生くんや島津頼盛くんがいて、追いつけるようにと日々練習していました。セレッソ大阪U-15で過ごした3年間は大きかったです。サッカー選手としても人としても、土台を築く期間になったと思います。
高校生になって、セレッソ大阪U-18に昇格しました。U-15、西U-15、和歌山U-15から選手が集まり、スカウトで外から入ってくる選手もいて、また一段と競争が激しくなりました。環境面でもトップチームに近づいた気がしました。フィジカル面もより大人に近いと感じました。球際での戦いに負けないように、自分もチューブを使ったトレーニングなどで体を鍛えました。1年の途中から、2年や3年のチームに入れてもらえるようになりました。高校時代で印象に残っているのは、高1の時に戦ったAFC U-16選手権と、高2の時に戦ったU-17W杯です。特にU-17W杯の決勝トーナメント1回戦・イングランド戦は、高校時代を振り返ると、一番強く印象に残っています。この試合では右サイドバックで出ました。(フィル)フォーデンや、ハドソン オドイとマッチアップしたのですが、それまでのサッカー人生の中で一番うまくて速い相手でした。世界は広いと感じました。90分を0-0で終えてPK戦に突入した中で、3番目に蹴った自分が外してしまい、負けてしまったのですが、強烈なインパクトが残っています。この大会を通して個の力を高める必要性を強く感じました。結果的にイングランド代表は優勝したのですが、あの試合で僕らが勝っていればもっと上に行けたかと思うと、悔しかったです。PK失敗は少し引きずりました(苦笑)。この大会は歩夢がケガで出られず、大会に臨む前は「頑張れよ」と声をかけてもらっていたのですが、PKを外した後もすぐに電話がきました(笑)。舩木翔くんも電話をくれて、励ましてくれました。今、日本代表にも入っている久保(建英)選手もいましたが、この代表の選手たちはそれぞれが一つひとつの練習に対するこだわりも強く持っていました。
チームでの活動は、高2からはU-23での活動が多かったです。練習も基本的にはU-23の方に出ていました。高2になった17年のJ3開幕戦でJデビューしました。試合の迫力もユースとは違い、ロッカールームにユニフォームが準備されてあったり、サプリメントが用意されているのを見て、よりプロに近い環境を感じました。その後、当時のユン(・ジョンファン)監督にトップチームの練習にも呼んでもらい、ルヴァンカップの(北海道コンサドーレ)札幌戦で少し試合にも出させてもらいました。この試合がトップチームデビューでした。当時のトップチームには(柿谷)曜一朗くんや(山口)蛍くん、(杉本)健勇くんといった日本代表の選手もいて、そうした先輩たちと日々、練習からプレーすることで、成長につながったと思います。トップチームの環境が身近に感じられることは、セレッソアカデミーの良さだと思います。自分自身、高校生の時にU-23の一員としてJ3に出させてもらった時から、「プロになる」意識はよりハッキリ芽生えました。その後、高3の8月にプロ契約を結んでもらったのですが、喜びという気持ち以上に引き締まる思い、責任感が生まれました。プロになれたことは、親や周りの人たちも喜んでくれました。
-プロ以降-
プロ1年目はアビスパ福岡に期限付き移籍しました。城後寿選手や森本貴幸選手が在籍しており、彼らの練習への準備や姿勢を間近で見て、多くのことを学びました。セレッソに戻った翌年はJ1デビューを果たしましたが、主戦場はU-23でした。プロ3年目の2021年には、小菊昭雄監督のもとで試合に出場する機会を得ましたが、もっと成長しなければならないという強い気持ちが芽生えました。2022年は開幕前にケガを負い、試合に出ることができず、悔しい1年になりましたが、2023年にはシーズン途中から先発出場の機会が増えました。高校2年生だった2017年にトップチームデビューを果たした札幌ドームで、プロ初ゴールを決めることができました。それも驚くほどの左足ミドルシュートで、自分でも信じられないほどの一撃でした。また、その試合でボランチとしてコンビを組んだのは、セレッソのスクール時代から憧れていた香川真司選手でした。練習への取り組み方やプレーのクオリティは、隣でプレーすることでより深く学ぶことができました。2023年は大きな手応えもあったシーズンでしたが、12月に右膝半月板損傷のケガを負い、2024年はリハビリからのスタートになりました。試合復帰には夏までかかりましたが、その間も外から俯瞰してサッカーを観て学べました。小菊さんには、トップチームのコーチをされていた頃からメンバー外の居残り練習も見てもらっていました。高校生時代もそこに参加する機会があり、「お前がセレッソを引っ張っていけ」ということは当時から言われていました。期待してもらっていると感じていましたし、監督になられて試合でも使ってもらい、感謝しています。
昨年はパパス監督のもと、より攻撃的なサッカーに挑戦したシーズンになりました。ビルドアップの練習、ボールの受け方の練習はキャンプからずっとやっていました。ボランチとして、ボールをしっかり動かして試合を組み立てること、奪ったら前に付けること、チャンスがあれば積極的に飛び出してゴールに迫ることを意識していました。もちろん、守備でも相手の攻撃の芽を摘むことなど、広範囲に動いて貢献することも心掛けました。昔に比べたら少しはプレーに安定感が出てきたと思いますが、もっと高いレベルで続けないといけません。昨年は試合に出られなかった時期でも練習からやることは変えず、メンタル的な浮き沈みもなく、精神的にも成長できたと感じています。年齢的にも真ん中から上になってきたので、しっかりチームを引っ張っていきたいと思います。
