PROFILE
プロフィール
- 名前奥田 勇斗(オクダ ハヤト)
- 生年月日2001/04/20(24歳)
- 出身地大阪府
- 身長/体重174cm / 71kg
- ポジションDF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
サッカーを始めたきっかけは、父がサッカーをしていて、その影響です。ボールを蹴り始めたのは2歳です。小さい頃の動画を見返すと、「この時、2歳やで」って(笑)。父は高校、大学とサッカーをしていて、今は街クラブで小学生のコーチもしています。今でも一緒にボールを蹴っています。河内長野市出身なんですが、幼稚園の年中から長野キッズというチームに入り、小1から小6までは長野FCでプレーしました。小3で小5、小4で小6に交じって試合に出させてもらっていました。この時期はいわゆる団子サッカーで、ポジションは特になかったのですが、今と違ってFWでした。ドリブラーで、点を取るのが楽しかったですね。6年間で一番印象に残っているのは、小6で出場したひまわりカップです。大きな大会で、決勝では前半は0-2で負けていたのですが、後半に自分が3点を取って逆転して、最優秀選手に選ばれました。新聞にも載ったことを覚えています(笑)。クラブ史上、初めて優勝しました。長野FCの活動は土日だけだったので、平日は別のスクールにも通っていました。そこで技術を身に付けました。他に興味を持つこともなく、小学校時代からサッカー漬けでしたね。
-中学~大学-
中学からガンバ大阪のジュニアユースに入ります。きっかけは、小5で大阪府トレに選ばれたんですけど、当時のメンバーで上手い選手たちが「ガンバに行く」と聞いて、このメンバーと一緒にサッカーしたいと思い、ガンバのセレクションを受けました。この府トレには(西尾)隆矢もいました。セレッソのセレクションも受けて、両方1次は受かったのですが、ガンバから一足早く練習参加の誘いが来て、その時点で合格をもらい、加入を決めました。そのメンバーっていうのが、食野壮磨、川﨑修平、塚元大らで、強烈でした(笑)。中学時代の3年間はキツかったですね。小学校のチームで1番、2番にサッカーが上手い子たちが集まり、1年生は24人いたのですが、上手い選手ばかり。特に攻撃の層は厚く、試合に出られませんでした。一番苦しかったのは中2です。ガンバのジュニアユースにはサイドハーフで入ったんですけど、中2ではBチームでボランチをやっていました。どうすれば上でプレーできるのか、考えて、もがいていた時期です。中3になって、ある日、練習で鴨川(幸司)監督から「サイドバックをやってみて」と言われました。やってみたら意外と出来た。そこから練習試合でもサイドバックで使われて、本格的にサイドバックを始めることになりました。ここが大きな分岐点でした。自分はその時、攻撃のポジションでは試合に出ることができなかったので、試合に出られるならポジションにこだわっている余裕はなかった。ガンバがつなぐサッカーで、自分も技術を学んでいたので、それをサイドバックでも生かそうと思ってプレーしました。攻撃に関しては最初から自由にやれたのですが、守備は難しくて学ぶことが多かったです。このあたりから、下半身がゴツくなりました(笑)。サイドバックは使う筋肉が違う。行って、止まって、また行って。そういう動きを繰り返す内に、ブレーキ筋が鍛えられました。
高校はガンバユースに昇格しました。僕たちの代は24人中10人が上がりました。僕はパスサッカーが好きで、高校の部活よりガンバのユースでプレーしたかったので、嬉しかったです。中3の頃、サイドバックにコンバートされて少し経った夏に、ブラジルで試合をするJリーグ選抜に右サイドバックとして選ばれました。このチームには、同学年の半田陸や西川潤、斉藤光毅、山本理仁がいました。半田選手は、当時はセンターバックで、一緒にDFラインを組みました。年代別の代表はこの遠征が初めてで、周りのレベルの高さに驚いたのと、強度や寄せのスピードなど感じることも多く、貴重な経験でした。やっていて楽しかったです。この選抜で自信も付き、そのおかげでユースに上がることができたのだと思います。ユースでは、高1ではプレミアリーグに出ることはできなかったのですが、2年になって出始めました。中3でサイドバックに転向して以降、高校時代もボールの持ち方やトラップの仕方、パスの強弱やキックの質はかなり研究しました。なぜ上手くいかなかったのか、どうしたらもっと上手くできたのか。そこは常に自問自答しながら練習していました。今でも試合の中で、こうしてみよう、ああしてみよう、ということは常に考えながらプレーしています。3年に上がって、自分たちの代では負ける気はしなかったです。プロを目指していた選手ばかりだったので、負けず嫌いで意識の高い集団でした。練習も楽しかったです。途中から2種登録もしていただき、U-23としてJ3にも8試合出ました。サポーターの前でプレーするプレッシャーや、空気感を経験できたことは大きかったです。プロサッカー選手になりたい想いは、ガンバのジュニアユースに入った頃からというより、サッカーを始めた小学生の頃から持っていました。J3にも出て、「(トップチームに)上がれるかな」と思っていたので、しばらく経って「(トップチームへの)昇格はない」と言われた時はショックでした。
大学は全く考えていなかったので、気持ちをすぐに切り替えることは難しかったです。落ち込んだ時期もあったのですが、「大卒からプロになる選手も少なくない」と聞いて、「もう一度、頑張ろう」と思いました。トップに昇格できなかった部分を自分なりに分析して、「走力が足りなかったな」とか。そこを補える大学を選ぼうと思って、オファーをもらった桃山学院大学に進みました。当時の桃山学院大学は毎熊(晟矢)くんの代で強かったです。学年的にはちょうど入れ替わりだったのですが、一緒にプレーしていた先輩から、毎熊くんの話は聞いていました。一緒にプレーできずに残念だったのですが、まさかプロで同じチームになり、同じポジションを争うとは思ってもいませんでした(笑)。ライバルと呼んでいいのか分かりませんが、目標というか、追い越すべき選手だと思っています。自分の特長と毎熊くんの特長は違いますが、ポジショニングやアイディアは勉強になりますし、守備の強度も高い。毎熊くんはドリブルで駆け上がってアシストするだけではなく、シュートの技術もある。戻るところもしっかり戻れるし、ハードワークできる。学ぶことはたくさんあります。アジアカップでのプレーも見ていましたが、より間近で見て、色々、盗みたいと思います。そこで分からなかったら聞いてみたいです。大学時代に話を戻すと、この4年間は走りが多くて大変でした。ただ、自分に足りないモノを身に付けたかったので、それは良かったのですが、周りとの考えやサッカーに対する意識の差など、メンタル的な方がキツかったです。ユース時代は全員がプロを目指していた集団でしたが、大学は、就職のために入った選手、楽しくサッカーをやりたい選手、本気でプロを目指している選手、色んな選手が混じっているのが特徴だったので、「やれよ」と強く言えない難しさがありました。部員も120人ぐらいいて、カテゴリーも7つまでありました。基本的には1年目からトップチームでプレーさせてもらい、トップチームは自分と同じ熱量を持った選手ばかりだったので困ることはなかったのですが、合同で練習した時は、メンタルのコントロールが難しかったです。その中でも、自分は入った当初からブレなかったです。課題を見つけて克服する毎日でした。今までは自分と同じか自分より上手い選手ばかりの中でやっていたのですが、大学はそういう環境ではなかったですが、その中でも自分の技術を伸ばすことを考えてやっていました。入部した2020年にコロナが流行し、イレギュラーな形でのスタートにはなったのですが、試合には最初から出れました。今、振り返ると、大学に行ったことは良かったです。高校3年次の自分のプレーを見ると、「これでは(プロは)無理だな」と思えます。
-プロ以降-
プロ入りにあたり、セレッソ大阪、ヴィッセル神戸からオファーをいただきました。セレッソの練習に参加した際の雰囲気や内容が良く、サッカーのスタイルも自分に合っていたので、セレッソに決めました。大学4年の4月に内定をいただき、5月にはルヴァンカップでデビューしました。プロの選手を相手に試合をし、自信がつきました。その後、U-22の日本代表にも選出され、欧州遠征にも参加しました。ここでも「自分はやれる」と確信しました。同世代なので遠慮することなく、気持ち的にも楽にプレーできました。9月にはアジア大会に臨むU-22日本代表に選出され、プレーした経験も大きかったです。大学4年はプロとして戦う準備ができた1年でした。
プロ1年目の2024シーズンは、毎熊選手が海外に移籍して、そこから多くの試合に出場して、経験を積めたことは大きかったです。2年目の昨シーズンは、パパス監督のもと、アグレッシブな攻撃サッカーに取り組んで戦いました。全員でゴールを目指すサッカーなので、サイドバックとしても上がっていく機会が多くて楽しかったです。ビルドアップではボランチの位置に入って組み立てに関わったり、ウイングと連係してインサイドに抜けたり、オーバーラップしたり、サイドバックは求められるタスクが多いので、難しさもありましたが、やりがいがあって、楽しかったです。攻撃のバリエーションが増えた実感もありますし、攻撃的なサッカーは自分に合っていると感じました。今年は新しい選手も入って、同じ世代の選手も多くなったので、コミュニケーションも取りやすいです。ボス(パパス監督)の求めているサッカーのスタイルは今年も変わらないので、新しい選手とすり合わせてチーム力を上げていきたいです。自分自身、昨年は1年目より多くの試合に出させてもらいましたが、リーグ戦では結果を残せなかったので、今年は1つでも多くアシストをして、サイドバックですがゴールも決めて、チームの勝利に貢献したいです。あとは、チーム全体としてもそうですが、個人としても、昨年の課題になった守備の部分をさらに積み上げていけたらと思います。
CAREER
経歴
NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
はやと2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
26.54 スパイクのこだわり
横幅が広いのと軽量5 試合前に必ずすること
ストレッチ6 自分のプレーの特徴
ビルドアップ、攻撃的、技術7 遠征に必ず持っていくもの
化粧用品8 オフの過ごし方
嫁と出かけること9 ストレス解消法
愛猫10 サッカーを始めたきっかけ
父がしていたから11 仲の良い選手/理由
ひなくん(喜田陽)/よく話すから12 チームメイトの意外な一面・内容
ひなくん/シャワーに何回も入る13 憧れの選手
ネイマール14 サッカーで一番大切にしていること
メンタル15 今までで一番嬉しかった試合
去年のルヴァンの今治戦16 今までで一番悔しかった試合
アジア大会決勝17 もしサッカー選手じゃなかったら
サッカーに携わる仕事18 あなたにとってサッカーとは
人生19 今季の目標(サッカー目標)
2アシスト2ゴール20 セレッソ大阪の好きなところ
年齢関係なく仲がいいところ21 セレッソ大阪のイメージ
チャラい22 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
ピッチからスタンドまで近いこと23 どんな応援をされると嬉しい?
どんな応援でも嬉しい24 趣味・マイブーム
ゴルフ25 自分の性格を一言で!
子供26 自分を動物に例えると
犬27 生きていて1番ワクワクする瞬間
嫁のご飯28 座右の銘、好きな言葉
初志貫徹29 初めての給料の使い道
貯金30 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
ムロツヨシ31 好きな女性のタイプ
嫁32 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ハイキュー33 好きな季節/理由
春と秋/寒すぎず暑すぎないから34 好きな音楽のジャンル
LDH35 好きな食べ物
嫁のご飯36 苦手な食べ物
貝類37 この世で一番好きなもの
嫁38 この世で一番怖いもの
嫁39 今一番欲しいもの
車40 最近のうれしかった出来事を教えてください
結婚したこと41 今季の目標(プライベート)
健康42 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
サッカー43 学生時代に得意だった科目
体育44 ほっとする瞬間
お風呂45 日常生活で「自分がサッカー選手だな」と感じる瞬間
物を落とした時に足が先に出てしまう46 旅行に行くならどこに行きたい?
九州47 戸建派かマンション派か?
マンション48 ファン・サポーターへ向けて一言
今年も応援よろしくお願いします
