山下 達也
    23
    DF

    Tatsuya YAMASHITA

    山下 達也
    前のプレーヤーへ次のプレーヤーへ
    • 年齢35
    • リーグ戦
      総出場試合数
      290
    • リーグ戦
      総得点
      10

    PROFILE
    プロフィール

    • 名前山下 達也(ヤマシタ タツヤ)
    • 生年月日1987/11/07(35歳)
    • 出身地兵庫県
    • 身長/体重182cm / 77kg
    • ポジションDF

    PLAYER'S HISTORY
    インタビュー

    -幼少期-

    サッカーを始めたのは幼稚園の年長です。同じマンションに住んでいた友達と「明石のクラブチームに行ってみよう」と。元々、運動神経がいい方で野球もしていたのですが、サッカーをしてみたら楽しくて、すぐハマりました。明石FCというクラブです。明石市外から上手い子も来ていたので、レベルは高かったです。2つ上に兄がいて、兄も最初は野球をしていたのですが、小3からサッカーをしていました。兄の同級生に河本さん(河本裕之)がいて、その人のプレーを見て育ちました。小学生時代は中盤をやっていました。高学年で県選抜にも選ばれたのですが、そこではDFでした。筋肉質だったので、小学校ではスピードとキック力で何とかなりました(笑)。小6から福西(崇史)さんが好きでした。BSでやっていた磐田の試合を見て、点を決めているシーンを見てからですね。顔も格好いいし、ヘディングで点も取る。アクロバティックなプレーも多かったので、好きになりました。


    -中学~高校-

    中学では、部活でプレーしていました。礼儀には厳しい監督でしたが、スタメンも自分たちで決めるような感じで、サッカーは自由にさせてくれました。中学3年間はボールを触る回数もめちゃくちゃ多く、成長できました。選抜ではCBだったのですが、チームでは中盤で、王様みたいな感じで好き放題やっていました(笑)。練習メニューは、県の選抜でやったメニューを取り入れたり、見よう見まねでやっていました。戦術的なメニューは一切なかったですが、全員、真剣にやっていましたね。この時、兵庫県選抜で一緒だった選手でプロに行った選手は何人もいました。柏木陽介、横谷繁、デカモリシ(森島康仁)…。自分の学校で選抜に入っていたのは自分くらいだったので、中3ではキャプテンもやっていました。

     

    高校は(神戸市立)御影工業(高等学校)に進みます。中3の時に、滝二(滝川第二)対御影工業が選手権予選の決勝で対戦していて、御影は負けたのですが、自分の中で、チャンピオンチームには行きたくなかった。御影工業は公立でお金もかからず、サッカーも強い。それに格好いい人も多かった。僕の父が中学校の先生なんですけど、父の知り合いが御影工業のGKコーチをしていた縁もあり、練習参加したら、自由と規律があるいい雰囲気だったので、決めました。3年間、県予選の決勝や準決勝までは行ったのですが、全国大会には出られませんでした。ポジションは、高校では最初からCBでした。1年から使ってもらいました。組んでいた3年の石沢(典明)さんという選手もヴィッセルでプロになったのですが、その人が凄すぎて、いいお手本でした。周りの先輩もめちゃくちゃ優しかったです。1年だと雑用をさせられるのかなと思っていたのですが、そういうこともなく、優しくしてくれました。そういう先輩たちの姿を見て、自分も変わりました。正直、中学までは王様タイプで、自分の想い通りにならないとイライラして怒鳴るようなタイプだったのですが、高校に行って、先輩たちの姿を見て、ホンマに性格が変わりました(笑)。グラウンド作りとかも、先輩たちのために誰より早く行って、一人で全部終わらせるようになりました。高1から試合に出ていたのは自分1人でした。2年、3年も出続けて、高3ではキャプテンをやっていました。自分がしてもらった分、後輩にはめちゃくちゃ優しかったですよ(笑)。サッカー選手は、高校に入ってからより目指そうと思ったのですが、まだ明確には自信を持てず、プロから声がかかったら行く、という感じで、大学も考えていました。そんな中、国体の活動で静岡遠征に行った時、元セレッソのスカウトという方に声をかけてもらって、「(進路は)大学を考えています」と伝えたら、その人から、当時セレッソでスカウトをしていた小菊(昭雄)さんに話がいったようです。小菊さんも「チェックしていますよ」と答えてくれたみたいです。そこから小菊さんが見に来てくれた試合はどの試合も調子が良かった。印象も良かったのか、セレッソからオファーをもらうことができました。母は大学に行って欲しかったようですが、父はプロ入りに賛成してくれました。プロにもなれて、先輩から学んだことも多かったので、御影工業を選んで良かったと思います。


    -プロ以降-

    同期には、(柿谷)曜一朗やデカモリシ、(香川)真司がいました。年代別代表で脚光を浴びている選手ばかりでしたね。プロでの最初の3年間は、ほとんどサッカーしていません(苦笑)。特に最初の1年は、U-23のような感じで、別のコートで練習していました。自分では必死にやっていましたが、付いていけなかったです。「このまま試合に出られず、カテゴリーを下げて頑張っていくしかないんかな」という思いもあったのですが、コーチだった小菊さんと勝矢(寿延)さんが奮い立たせてくれました。この時期、真司はどんどん試合に出て活躍していたので、コンビニとかでもおごってもらっていました(笑)。正直、自分は悔しいとか思えるほどのレベルではなかったです。プロサッカー選手としての転機は、11年の札幌移籍です。お客さんの前でプレーして、シーズンを通して目に見える結果を残せたのは、大きな自信になりました。札幌には感謝しています。結婚もこの年にしたので、公私ともにターニングポイントでした。そのシーズンオフに、セレッソから声をかけてもらいました。この時、セレッソだけではなく、色んなクラブからオファーがあったのですが、自分の中でセレッソは特別でした。当時、モニさん(茂庭照幸)や(藤本)康太がCBでレギュラーで出ていたので、戻っても試合に出るのは簡単ではないと分かっていましたが、セレッソでもう一度、挑戦したい思いが強かったです。ちなみに、当時は代理人もいなかったので、直接、自分にオファーが来ていたのですが、新婚旅行でラスベガスに行っている最中に連絡が来て、決めました(笑)。戻ってきた12年はあまり出られなかったですが、13年の第12節・柏戦でモニさんがケガをして途中出場して、そこから出続けることができました。出始めてから、14年の春に日本代表候補に呼んでもらったあたりまでは体の調子も良かったのですが、その後は痛い箇所も増えて自分のパフォーマンスにも納得していなかったです。チームの状況も悪くなり、セレッソに対して責任を感じることは多かったです。二冠を獲った17年くらいからは、一歩引いた目でチームを見るようになりました。メンタル的にも、外からチームを支える感じに変わりました。19年は開幕戦で点を取りましたが、途中で柏へ移籍します。「もう一度、勝負したい」思いが出てきて、より必要とされるチームに行こうと思っていたタイミングで柏からオファーをもらったので、移籍を決めました。柏でも厳しい時間は多かったですが、大谷(秀和)さんや鎌田(次郎)さん、染谷(悠太)くんら先輩たちが頑張るし、大人だったので、そういう選手たちを見ながら、ずっと走っていました。紅白戦にも出られない時期もあったのですが、トレーニングしかないと思って、ひたすら走っていました。自分の体をキープしようと必死でしたね。

     

    昨年、セレッソに復帰しました。柏でのプレーが終わってからは、色々考えましたね。最後、セレッソで引退できたら最高やな、という気持ちがあったので、正式にオファーをもらえた時は、めちゃくちゃ嬉しかったです。オファーがない時期は、色んなことを考えながら自主トレしていました。この時期、内にある魂を消さなくて良かったなと思います。消していたら、セレッソからのオファーも来ていなかったかも知れません。今まで色んなセレッソを見てきましたが、これからスターになるような選手もいっぱいいて楽しみですし、真面目な選手が多い中でも、キャラクターが面白い選手も多い。今までのチームの中でも、一番サッカーに対して真面目だと思います。練習の雰囲気も良く、スタッフも含めて雰囲気作りを大事にしているなと感じます。チーム最年長ですが、もちろん自分も試合に出ることを目指していますし、「まだまだやれるぞ」というところも見せたい。そのためには練習から必死にやるしかないので、そういう姿をサポーターの皆さんにも見てもらって、何か感じてもらえたらなと思います。


    CAREER
    経歴

    御影工業高校 →セレッソ大阪→コンサドーレ札幌→セレッソ大阪→柏レイソル→セレッソ大阪

    NATIONAL TEAM HISTORY
    代表歴

    U-20日本代表

    PERSONALITYパーソナリティー

    • 1 ニックネーム

      ヤマ
    • 2 利き足

      右足
    • 3 足のサイズ(cm)

      27.0
    • 4 スパイクのこだわり

    • 5 自分のプレーの特徴

      頑張る
    • 6 遠征に必ず持っていくもの

      延長コード
    • 7 オフの過ごし方

      美味しいもの食べる
    • 8 ストレス解消法

      甘いもの
    • 9 サッカーを始めた年齢

      6歳
    • 10 サッカーを始めたきっかけ

      友達に誘われて
    • 11 影響を受けた指導者

      みんな違ってみんないい
    • 12 仲の良い選手

      乾貴士、三原雅俊
    • 13 憧れの選手

      福西崇史
    • 14 今季対戦が楽しみなチーム/理由

      柏レイソル/古巣
    • 15 この人にだけは負けられない/理由

      三原雅俊/イケメンだから
    • 16 もしサッカー選手じゃなかったら

      トレーナー
    • 17 あなたにとってサッカーとは

      仕事
    • 18 今季の目標(サッカー目標)

      自分らしく
    • 19 セレッソ大阪の好きなところ

      若い選手の成長
    • 20 セレッソ大阪のイメージ

      明るい
    • 21 大阪の好きなところ

    • 22 地元(故郷)のおすすめ料理、場所

      明石焼き
    • 23 趣味・マイブーム

      ファーストラブ 初恋
    • 24 自分の性格

      さぼり
    • 25 生きていて1番ワクワクする瞬間

      セットプレー攻撃
    • 26 人生で1番悔しかったこと

      試合で負ける事
    • 27 座右の銘、好きな言葉

      息を吸って前進しろ
    • 28 初めての給料の使い道

      忘れた
    • 29 好きな芸能人/アーティスト/芸人

      野口也英
    • 30 好きな女性のタイプ

      元気
    • 31 好きなアニメ/マンガ/ゲーム

      スラダン
    • 32 好きな映画のジャンル

      大逆転
    • 33 好きな音楽のジャンル

      ヒップホップ
    • 34 得意料理

      無水カレー
    • 35 好きな食べ物

      カレー
    • 36 苦手な食べ物

      フルーツグミ
    • 37 この世で一番好きなもの

      子ども
    • 38 この世で一番怖いもの

      G
    • 39 今一番欲しいもの

    • 40 これから取り組みたいこと、やってみたいこと(サッカー以外)

      経営
    • 41 子どもの頃の夢

      サッカー選手
    • 42 誕生日にもらって嬉しかったもの

      全部
    • 43 ほっとする瞬間

      寝る前のYouTube
    • 44 将来の夢(プライベート)

      広いお家に住みたい