PROFILE
プロフィール
- 名前香川 真司(カガワ シンジ)
- 生年月日1989/03/17(37歳)
- 出身地兵庫県
- 身長/体重175cm / 68kg
- ポジションMF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
<2026年2月6日 更新>
-幼少期-
Jリーグが開幕したのが4歳で、サッカーを始めたのはその影響が大きかったですね。ただ、その前から公園でボールは蹴っていました。父も母もバスケをやっていたので、僕もバスケや野球も含め、球技は全般的に好きでした。当時は鹿島のファンでした。ジーコ選手が好きで、鹿島の試合をよく見ていましたね。小学生になり、最初に入ったクラブは、近所にあったマリノFCです。サッカーは毎日楽しかったですね。そこから東舞子SC、センアーノ神戸(当時は神戸NKサッカークラブ)と移るのですが、マリノFCと同時期に違うスクールにも通っていて、そこでお世話になっていたコーチが東舞子SCのコーチでした。そのコーチが好きで、その方がセンアーノに行ったので、僕も付いていった感じです。センアーノに入ったのは小5の冬です。県トレで顔見知りの選手も多かったですし、レベルも高く、神戸では強いクラブでした。高学年になって全国大会も始まり、より勝ち負けに対するこだわりも出てきました。小5、小6は強く印象に残っています。中学からは仙台に行くのですが、先ほど話した、慕っていたコーチがFCみやぎとつながりがあり、小5の冬休みに2週間ほどホームステイでFCみやぎの練習へ行ったんです。そこでの練習や環境が楽しくて、戻るのが嫌になるほど魅了されました。それが強烈な印象として残り、「中学はこのクラブに行きたい」という思いになりました。ただ、仙台は遠いですし、両親の理解なしでは行くことはできなかった。昔から両親は自分の意思を尊重してくれました。そうした両親のサポートや理解がなければプロサッカー選手にはなれていないので、本当に感謝しています。
-中学~高校-
仙台での最初の半年はホームステイをしていたのですが、そこから祖母が仙台に来てくれて、2人暮らしが始まりました。実際にFCみやぎに入ると、小5で練習参加した時のように、ただただ楽しいだけではありませんでした。中学生なので、トレーニングの質もガラッと変わった。もっと楽しくサッカーできると思っていたのですが、楽しいという感情より、毎日が必死でした。同学年にライバルがいて、競争心も植え付けられ、戦いの日々でした。トレーニングもハードで、怒られることも多かったので、メンタルが鍛えられました。僕はプロを目指して神戸から仙台に行ったので、より厳しく要求されたところもあったと思います。でもそれが今となっては生きています。上の学年にも混ざってプレーしていたので、体格で劣る中でどう戦うかも考えていましたが、常に負けていたイメージです。悔しい経験ばかりでした。特に最初の方は大変でした。練習は、1対1やゲーム、技術の練習がほぼ占めていました。ポジションはFWやトップ下など、前めのオフェンシブな位置でした。高校生に混ざってプレーしていた中3の時、2学年上の丹野(研太)選手を視察に来た小菊さん(当時スカウト)に注目してもらいました。実際に小菊さんと会ったのは高校生になってからですが、中3が始まりだと思います。高校進学にあたっては、地元の滝二(滝川第二高等学校)が兵庫県では強かったので、滝二に行く考えもあったのですが、割とスムーズにFCみやぎのユースに進むことに決めました。高校は寮に入ったので、祖母との2人暮らしは中学までです。僕が言うことを聞かないので、大変だったと思います。しょっちゅうケンカもしました(笑)。神戸から仙台に来てくれたことは本当に感謝しないといけません。こうしてまたセレッソに戻ってきたので、間近で試合を見せてあげたいですね。
サッカー選手としては、高校生になって、一気にグッと伸びました。まずポジションがボランチになり、そこから東北選抜や年代別の日本代表にも入り、プリンスリーグでも活躍できました。ボランチに移った経緯はハッキリとは覚えていないですが、何かのタイミングでプレーしたらうまくハマったんでしょうね。後ろからどんどんドリブルで駆け上がって点を取れるボランチは、当時の日本にはあまり存在していなかった。監督やコーチとも、「ただ捌くだけではなく、前に上がれる、点が取れるボランチになれ。そうすれば、誰にもない良さが出せる」という話をしていました。転機は、U-18東北代表として出場した、高2の9月に行われた仙台カップ国際ユース大会です。U-18日本代表とも対戦したのですが、同世代のトップとどこまで差があるのか、モチベーション高く燃えた試合でした。結果、5-2で勝利し、自分もいいアピールができて、ここから継続的に年代別の代表にも呼ばれるようになりました。高2の12月にセレッソと仮契約をしました。小菊さんには、高校に入ってもずっと見てもらっていました。運動量豊富に攻守に関わるプレーを評価してもらったのだと思います。当時、セレッソだけではなく、FC東京と新潟の練習にも参加しました。FC東京もセレッソと同じような時期にオファーをくれました。強化部長が大熊清さんで、監督が原博実さんでした。FC東京も魅力的で、一瞬、セレッソと悩んだところもあったのですが、やっぱりセレッソだと、最終的に決断しました。一番最初に小菊さんが気にかけてくれて、そこからずっと追ってくれて、オファーをくれた。最初に声をかけてくれたことは、やっぱり大きかったですね。大阪は地元にも近いですし、先輩の丹野選手もいました。熱心にアプローチしてくれたという気持ちの部分と環境で、セレッソに決めました。ちなみに、「プロになりたい」と漠然と思ったのは、サッカーを始めた時からです。ただ、具体的には、中学生まではプロになれるとは思っていませんでした。もちろん、夢としてはありましたが、具体的なイメージは想像がつかなかった。その中で、高1になってボランチになり、全国大会に出たり、年代別代表に選ばれたり、色んな出来事が立て続けに起こって、一気に成長して、プロが視界に入ってきました。プロサッカー選手が夢から目標に変わったのは、高1です。
-プロ以降-
高校3年生に進級するタイミングで、プロサッカー選手としてのキャリアがスタートしました。1年目はトップチームとはほぼ別でトレーニングを行い、当時はトップチームに絡む意識はありませんでした。メンバーの層も厚く、ベンチ入りが16人だったため、試合に出られないことは想定内でした。それよりも「2、3年後に花を咲かせるために」と考え、まずは身体を鍛えることを優先しました。プロの環境は高校とは異なり、練習時間が短く、用具の管理や食事の提供もありましたが、そこに甘えず、誰よりも多く練習し、サッカーに集中する姿勢を貫きました。サテライトリーグなどで試合経験を積み、同期の選手たちと競い合いながら成長していきました。
プロ2年目の2007年が、セレッソ大阪での転機となりました。前年にJ2降格を経験したクラブでしたが、レヴィー・クルピ監督の就任により、自分にもチャンスが訪れました。クルピ監督は自分を2列目のポジションで起用。自分としては、これまでにない新たなボランチ像を作りたい思いがあり、プロでもボランチでプレーして日本代表にも入りたかったのですが、レヴィーからは、「ボランチはいつでもできる。前で勝負する力があるのだから、ドリブルで仕掛け、ゴールを狙え」と言われ、攻撃面での成長を求められました。その結果、プロ3年目の2008年には16ゴールを記録。攻撃的な選手は数字を残さなければ評価されないという意識を植え付けられ、試合ごとに課題を持ちながらプレーしました。今、振り返ると、「技術や運動量をより攻撃的なポジションで生かせる」とコンバートしてくれたレヴィーには感謝しています。この年にはU-19、U-23、日本代表と幅広い世代で選出されるなど、多くの経験を積みました。そして、シーズン終了後には引退する森島寛晃さんから直接8番を譲り受け、責任感も増しました。翌2009年にはJ2得点王を獲り、チームをJ1昇格へ導きました。セレッソで過ごした最初の4年半は本当に濃い時間でした。周りにも恵まれ、サッカー選手として大きく成長できたと思います。
2010年は5月までJ1でプレーして、夏にドルトムントへ移籍しました。初めてジグナル・イドゥナ・パルクに立った際、サポーターの圧倒的な熱気とクラブの伝統を肌で感じ、鳥肌が立ちました。ユルゲン・クロップ監督との出会いも非常に大きなものでした。当時はまだ気鋭の監督でしたが、選手の特徴を最大限に引き出し、情熱的でエネルギッシュな指導スタイルを持つ監督でした。クロップのもとで、フンメルス、シャヒン、ゲッツェなど、これからのドイツを支える若手選手たちと共にプレーできたことは、自分にとって最高の環境でした。クロップは戦術的な指導だけでなく、選手のメンタル面にも強く働きかけ、チーム全体の士気を高める存在でした。その後、マンチェスター・ユナイテッドへ移籍。初めてファーガソン監督と対面した際のオーラは圧倒的で、直接オファーを受けたことの重みを強く感じました。その後も各国のクラブでプレーしながら経験を積み、2023年、セレッソ大阪へ復帰します。復帰する決断に至ったのは、「グラウンドの上で証明したい」「サッカー選手としてさらに成長したい」という強い思いがあったからでした。
復帰後の3シーズンは9位、10位、10位と中位が続いています。セレッソでタイトルを獲りたいですし、そのためには選手一人一人が責任と自覚を持って、日頃から意識を上げていく必要があります。そういう環境をチームも含めて自分たちで作り上げていきたい。常に勝利を目指し、貪欲に成長し続ける集団になっていきたい。今年はイレギュラーなシーズンですが、百年構想リーグも勝つことしか考えていません。勝って、勝って、勝つことの喜びを感じながらプレーし続けたいです。個人としても、毎試合、毎試合が勝負です。そうやって、ここ数年は生きてきました。その思いは今シーズンも変わりません。その上で、毎年、進化していかないと、競争には打ち勝っていけません。そのために色々なトレーニングをしながら成長していきたい。良いパフォーマンスを出すためにもコンディションは大事ですし、技術、メンタリティ、トレーニング、すべての面で向上し続け、最高のパフォーマンスを発揮するために努力をし続けていきます。
