PROFILE
プロフィール
- 名前レオ セアラ(レオ セアラ)
- 生年月日1995/02/03(28歳)
- 出身地ブラジル
- 身長/体重178cm / 78kg
- ポジションFW
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
サッカーは7歳から始めました。父が草サッカーをやっていて、一緒に付いていってボールを蹴っていました。ほとんどのブラジル人はサッカーが好きなのですが(笑)、僕もサッカーが、好きで、好きで、朝も昼も夜もボールを蹴っているようなサッカー小僧でした。当時はサッカー選手になれるかどうかは分からなかったですが、とにかくサッカーが好きで、時間があればボールを蹴っていました。新しいスパイクを買ってもらった時は、夜も履いて寝ていました(笑)。
-中学~高校-
最初にスクールに入ったのは12歳ですが、プロのクラブがあるアカデミーに入ったのは、14歳です。まずバイーアに入り、15歳か16歳くらいの時に、同じバイーア州ですが、ヴィトーリアというビッグクラブに移りました。当時、ヴィトーリアには、同年代でいい選手が大勢いて、将来有望な選手も何人かいました。僕はそこまでの選手ではなかったのですが、とにかく真剣に練習に取り組んで、練習を重ねて、サッカー選手という職業に就けました。プロサッカー選手には、サッカーを始めた時からなりたい思いはありました。決して裕福な家庭ではなかったので、プロになって家族を助けたい思いがありました。ブラジル人にとってサッカーは、貧しい人たちが素晴らしい人生を勝ち取る手段でもあります。ポジションは、実は最初はボランチでした(笑)。若い頃は、少しポチャッとしていて、キックもうまかったので。アシストするような選手でした。ヴィトーリアに移った15歳くらいからFWになりました。キックがうまかったのでシュートに生かせると思ったのと、ヘディングも強かったからです。そこからはFW一筋です。サッカーにおいて得点は、何より喜びが爆発する瞬間だと思います。当時、好きだった選手はアドリアーノ選手です。09年にブラジルに戻ってきて、その年にフラメンゴでブラジル全国選手権に優勝して、得点王も獲得しました。その姿を見て、彼のことが好きになりました。
-プロ以降-
12年には、ヴィトーリアでプロとしてデビューできました。ヴィトーリアには、アカデミーの頃から数えると10年ほど在籍していました。自分にとってサッカーを学んだ原点です。ただ、プロになって有頂天になり、やるべきことをやらずにパフォーマンスが低下し、一度、ユースに戻されたことがありました。この時、決して努力は怠ってはいけない、ということを学びました。16年に、ヴィトーリアからFC琉球にレンタル移籍し、日本でプレーすることになりました。日本行きの話を聞いた時は、たとえ3部のチームであっても、大きなチャンスだと思いました。自分の活躍次第でもっと上のカテゴリーに行けると思って決めました。当時、自分はまだ若く、1年間、試合に出続けた経験がなかったのですが、琉球では、1年間、試合に出続けることができました。サッカーを含め、日本の印象は最高でした。クラブの環境も整っていて、治安もいい。ピッチ内外で学ぶことが多い時間でした。日本食では、うどんと牛丼が好きになりました(笑)。
琉球でのプレーを経て、ブラジルに戻るのですが、そこからの4年間で大きく成長できました。ヴィトーリアからレンタルという形が続き、精神的に不安定な時期もありましたが、18年に初めてたくさんゴールを決めることができました。続く19、20年と、どのシーズンも15点以上を取りました。そうしたら、横浜F・マリノスからオファーが来たのです。この話をもらった時は、以前、日本にいたレオとは全く違う、成長したレオを見せるチャンスだと思いました。ブラジルに戻ってからの4年間は、選手としての成長だけではなく、人としても成長できた期間でした。結婚したことが大きかったです。妻が心の支えになり、アスリートとして、体のケアを含めて安定してやるべきことをやれました。それが選手としての成長につながったと思います。
横浜FMに移籍した21年、チームに合流した4月にすぐ点を取ることができました。ただし、コロナで来日が遅れ、最初は難しい時期を過ごしました。キャンプにも参加できず、最初の12試合くらいは出られていません。その中でのシーズンインだったので、あれほど結果を残せるとは、最初は想像していませんでした。ビザの取得まで3ヶ月ほど長い時間がかかったのですが、その間、横浜FMの試合は見ていましたし、クラブともミーティングを重ねていました。それが、合流してすぐ馴染めた要因だと思います。もう一つ、チームに合流できない時期は、ヴィトーリアのあるサルヴァドールという街にいたのですが、ビザが下りるまでは、ヴィトーリアのスタッフとともにフィジカルトレーニングを続けていました。彼らは自分の仕事ではなかったかも知れませんが、好意で僕のトレーニングに付き合ってくれました。感謝してもし切れません。横浜FMに合流してすぐ活躍できたのは、ヴィトーリアの関係者のおかげでもあります。横浜FMでの1年目は2位で、2年目の昨年は優勝できました。クラブにとって30周年という特別な1年に、自分の名前をクラブに刻むことができました。色んな困難を克服して辿り着いたタイトルだったので、喜びもひとしおでした。自分自身、昨年は11点を取って優勝に貢献できたと思います。アンデルソン ロペス選手とローテーションするような形でシーズンを過ごしたので、完全なレギュラーではなかったのですが、出場時間が長ければ得点王になれたかも知れません。FWとして、得点王になりたい意欲は常にあります。ただ、タイトルを勝ち取ることが一番重要です。タイトルを獲れば、みんなの価値が上がります。自分の価値も高めてもらったおかげで、セレッソからオファーをもらうことができました。セレッソにもタイトルをもたらしたいですし、セレッソというクラブは、環境、選手の能力を見ても、タイトルを獲ることにこだわらなければいけないクラブです。それ以外の目標はありません。それは、セレッソに来て改めて思いました。セレッソでも得点を狙うとともに、献身的なプレーを続けて、チームメイトとともに戦う姿勢は最後まで貫きたいです。それがタイトルにつながれば最高です。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
Léo Ceara2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
28.04 スパイクのこだわり
adidas5 げん担ぎ・ルーティン
お祈りをする6 自分のプレーの特徴
シュート7 遠征に必ず持っていくもの
ゲーム8 オフの過ごし方
家族と外食しに行く9 ストレス解消法
娘の顔を見て癒される事10 サッカーを始めた年齢
7歳11 サッカーを始めたきっかけ
お父さんの影響12 影響を受けた指導者
小菊監督13 仲の良い選手(チームメイトでも他クラブでも可)/理由
西尾 隆矢/いつも話しかけてくれる14 チームメイトの意外な一面
清武 弘嗣/ふざけたりしなさそうなのにめっちゃ選手たちをいじる15 憧れの選手
アドリアーノ16 今季対戦が楽しみなチーム:チーム名
横浜F・マリノス /古巣で仲間に会える17 この人にだけは負けられない/理由
アンデルソン ロペス/マリノスを出た時に得点では負けないと言っていたので18 将来の夢(サッカー面)
またJで優勝する事19 もしサッカー選手じゃなかったら
警察官20 あなたにとってサッカーとは
人生21 今季の目標(サッカー目標)
優勝をする事22 セレッソ大阪の好きなところ
みんな練習に真剣に取り組む所23 セレッソ大阪のイメージ
素晴らしいチームで環境も整っている24 大阪の好きなところ
ユニバーサル(USJ)がある所25 地元(故郷)のおすすめ料理、場所
ファジァウン26 趣味・マイブーム
TVゲーム27 資格や特技
シュラスコを作る事28 自分の性格
恥ずかしがり屋29 生きていて1番ワクワクする瞬間
娘が生まれた事30 人生で1番悔しかったこと
誕生日を家族と祝いこと31 座右の銘、好きな言葉
Trabalho (仕事)32 初めての給料の使い道
両親のために使う33 好きな芸能人/アーティスト/芸人
Tiaguinho (歌手)34 好きな女性のタイプ
嫁35 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ドラゴンボール36 好きなキャラクター
孫悟空37 好きな映画のジャンル
サスペンス38 好きな音楽のジャンル
Pagode39 得意料理
シュラスコ40 好きな食べ物
シュラスコ41 苦手な食べ物
サラダ42 この世で一番好きなもの
娘43 この世で一番怖いもの
怖い物はない44 今一番欲しいもの
早く家族が来日して欲しい45 最近チャレンジしたこと
納豆にチャレンジしてみました。46 最近嬉しかったこと
ケガなく練習ができる事47 これから取り組みたいこと、やってみたいこと(サッカー以外)
日本語を勉強したい48 子どもの頃の夢
プロサッカー選手49 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
サッカー50 思い出の一品(食べ物でも、身につけるものでも可)
焼肉51 誕生日にもらって嬉しかったもの
初めてゲームをもらった時52 ほっとする瞬間
家族とある時53 いつもつけている香水(銘柄等)
Dior54 将来の夢(プライベート)
幸せでいれるように