PROFILE
プロフィール
- 名前福井 光輝(フクイ コウキ)
- 生年月日1995/11/03(29歳)
- 出身地神奈川県
- 身長/体重184cm / 78kg
- ポジションGK
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
小学校時代から運動が好きで、バスケやバレー、野球など色々なスポーツをやっていました。自分で言うのもなんですけど、全部それなりにできて、何でも楽しめました。親も「好きなスポーツをやったらいいよ」という感じで見守ってくれて、最初は野球に傾いていたのですが、、丸刈りにすることに抵抗があったんです。ちょうどその時、父が買ってきてくれた(中村)俊輔さんの自伝を読んで、憧れを抱いて、自分もボールを蹴ってみたら左利きだったんですよ(笑)。それでサッカーをやることにして、小学4年生から藤沢市立明治小学校の明治フリーバーズSSSという少年団に入りました。ただ、結局サッカーも夏になったら丸刈りになるという…。でも、もう辞められなかったので、続けました(笑)。当時のポジションはFWでした。点を取りたくて、とりあえず目立ちたかった(笑)。周りよりキックの威力はあったので、少年団でもキックオフシュートで点を取ったこともあります。GKを始めたきっけかけは、僕は持病で喘息を持っていたのですが、砂埃でも発作が起きて、5年生で入院したんですけど、それ以降、走ったら息切れするようになり…。それでGKになったんです。フィールドプレーヤーに比べたら運動量が少ないという理由です(笑)。そもそも周りと比べて身長が大きかったので、PKとかではGKもやっていましたし、1学年上のGKに憧れていたこともありました。ただ、5年生の時はフィールドプレーヤーとGKを両方やっていたので、市のトレセンにはFWで選んでもらいました。6年生でGK、1本になって、GKとしてトレセンに選んでもらいました。それで自信が付いて、湘南ベルマーレのジュニアユースのセレクションを受けました。ポジションは「FWとGK」って書いて、1次試験はFWで受けて、2次試験はどっちもやって、GKで最終試験に進んで、最終的にはGKで受かりました。
-中学~大学-
中学の3年間は苦しかったですね。同期のGKにナショナルトレセンにも選ばれるような選手がいて、僕は中学3年間、公式戦には1試合も出ていません。その同期は古島圭人選手という選手なのですが、中学の時からトップチームの練習にも行くようなエリートでした。ただ、試合には出られなかったですが、中学3年間は濃かったです。GKコーチが素晴らしい方ばかりで、自分の可能性を広げてくれました。1年生では齋藤誠一さん、2年生は古島清人さん(古島圭人選手の父)です。3年生が伊藤友彦さん。錚々たるGKコーチの方に教えていただきました。土のグラウンドで100本シュートを受けて、メンタルが鍛えられました(苦笑)。この3年間があったから、今があると思っています。トップチームの試合も見ていましたが、当時はプロサッカー選手を目指す考えはなかったです。キックこそ当時から自信はありましたが、正直、周りとはレベルが違っていて、みんなに付いていくのに必死で。ユースにも上がれず終わりました。当時の同級生は、誰も俺がプロになるなんて思っていなかったです。これは絶対にそうです(笑)。大人になって会っても、「お前がプロ?」と未だに言われますよ(苦笑)。
高校は湘南工科大学附属高等学校に進学しました。正直、サッカーは中学で辞めようと思っていたのですが、ベルマーレのジュニアユースの同期が練習参加することになって、「お前も行く?」となって。ベルマーレのジュニアユースのコーチが高校の監督にかけあってくれて、自分も練習参加することができました。それで受かって、スポーツ推薦で入れることになったんです。湘南ベルマーレという肩書が大きかったと思います(笑)。近年はインターハイにも出ている高校ですが、当時は県大会のベスト8、16ぐらいで負けるレベルでした。高校では1年生からAチームに入って、試合にも少し出ることができました。やっぱりベルマーレのアカデミーに比べたらレベルは落ちるので、自分でも目立てる環境でした。中学では試合に出ることすらできなかったのですが、ようやく自分を表現できる場ができました。得意のキックで違いを見せることができました。ただ、シュートは止めることに関しては、課題が多かったです。2年でレギュラーを掴めましたが、ポカミスして外されたこともありました。転機は3年です。なぜかU-18日本代表に入ったんです。高校3年生の夏前に日体大のセレクションに行ったんですけど、そのセレクションになぜかU-18日本代表の鈴木政一監督が見に来ていたんです。そこでいいプレーができて、日体大にも合格もして、U-18日本代表にも選ばれました。なぜ日体大のセレクションを受けたかと言えば、高校の監督が日体大出身という縁があったこと、それと、僕自身、大学でもサッカーを続けたかったですし、将来のことも考えて教員免許も取りたかったので。ちなみに鈴木監督も日体大出身で、U-18日本代表の監督の前は日体大で監督をやっていたんです。そういうつながりもあって、人材発掘を兼ねてセレクションを見に来ていたようです。僕とすれば、運が良かったですね(笑)。夏のSBSカップを戦うU-18日本代表に選ばれました。最初は呼ばれていなかったのですが、いまサンフレッチェ広島にいる田中雄大選手がケガをして、追加で呼ばれました。その代表には、川辺駿選手、関根貴大選手、汰木康也選手、金子翔太選手とかがいて、正直、自分は浮いていました(苦笑)。「湘南工科大学附属高校から来ました福井光輝です」って言ったら、「誰、お前?」みたいな世界でした(笑)。でも、みんなめちゃくちゃ上手くて、カッコ良かった。そこで「彼らのようになりたい」と思ったんです。それにU-18日本代表でもキックだけは通用したので、「ここを伸ばせば、彼らにも対抗できるかも知れない」と、いい意味で自信になりました。結局、試合には出られず、これ以降、代表には選ばれなかったですが、「コイツらに負けたくない。同じ舞台で戦いたい」という向上心が芽生えました。僕にとって最高の時間で、このキャンプがサッカー人生の転機になりました。3年生では、関東プリンスリーグに昇格させることができました。当時としては偉業でした。選手権も出場を期待されていたのですが、県予選のベスト8で敗退しました。桐光学園と対戦して、1年生の小川航基選手に2発やられて終わりました(苦笑)。結局、この年は桐光が選手権に出場しました。
日体大では、推薦で入ったので1年からAチームに入れてもらいましたが、試合には出られなかったです。2年になると、鈴木政一さんが監督に戻ってきました。2年でも最初は出ていませんでした。今、モンテディオ山形にいる長谷川洸がずっと出ていました。この年、日体大は関東大学サッカーリーグ2部で優勝して、1部昇格を果たしました。僕も夏以降に少し出て、1部昇格を決めた試合にも出ました。3年になってもハセが先発で、夏の総理大臣杯も彼が出ていました。そうした中で、後期のリーグ戦は少し先発で出て、最後のインカレも僕が出ました。ただし、決勝で筑波大学に0-8で負けたんです(苦笑)。鈴木徳真選手、中野誠也選手、北川柊斗選手、高嶺朋樹選手、山川哲史選手、三笘薫選手とかがいた代の筑波です。ここでもう、サッカーを諦めようかなと(苦笑)。少し話を戻すと、大学2年の時、浦和レッズの練習参加に行かせてもらったんです。西川周作選手を間近で見て、「ヤバい、コレだ!」と思って、「追い付きたい。残りの2年で、もっと伸ばそう」と頑張った結果、3年のインカレで派手に散ったので、「サッカー、諦めよう」と思って(苦笑)、就職活動もしました。車が好きで、ヤナセとかの面接を受けていました。ちょうどその時、FC町田ゼルビアのスカウトをやっている丸山(竜平)さんが声をかけてくれて、2回ぐらい練習参加したら、オファーをくれたんです。ただ、プロに行くかどうか迷っていました。教員免許も取ったので、体育教師をやろうかな、とも思っていました。迷っていることは丸山さんにも伝えました。施設も大学の方が良かったですし、当時の町田は人工芝で環境はまだ整っていなかったので、「ここでやるのはどうなの?」という思いもあったんです。けど、僕の代は、いま横浜FCにいるンドカ・ボニフェイス、アルビレックス新潟の太田修介選手、山形の長谷川洸選手、ファジアーノ岡山の輪笠祐士選手とプロになった選手も多く、そうした周りの環境もあって、最終的には僕も大学4年生の5月に町田に行くことに決めました。両親は僕に委ねてくれていましたが、プロになって欲しかったみたいです。ちなみに、オファーをくれたのは町田だけでしたが、大学3年の冬、鈴木政一さんのコネでジュビロ磐田の練習にも参加しました。僕がサッカーを始めるきっかけとなった憧れの人、中村俊輔さんとも隣でご飯を食べました(笑)。「こいつ、俊のこと好きらしいよ」と名波(浩)監督がイジってくれて、俊さんも、「じゃあ何でGKなんだよ?(笑)」とか突っ込んでくれて、最高でした。大学時代を振り返ると、シュートストップは下手なままでしたが、同期の長谷川選手が上手かったので、それを隣で見て吸収して、少しは上達しました。彼は東京ヴェルディのアカデミー出身で、ヴェルディ愛が強く、「ヴェルディでプロになる」とストイックに努力していたので、影響されて、「負けられない。自分もプロになりたい」と思うようになりました。
-プロ以降-
大学4年生では特別指定選手としてチームに帯同して、2回ぐらいベンチに入りました。試合には出ていません。プロ1年目の2018年、J2リーグ第12節の東京ヴェルディ戦でデビューしました。それまで3連敗していて、ヴェルディ戦で自分に出番が来て、その試合で勝ったことで、以降も出続けることができました。29試合に出て、4回ぐらいしか負けていません。途中で首位にも立って、最終的には2位で最終節を迎えて、勝てば優勝だったんですけど、引き分けて4位で終わりました。ただ、J1のライセンスがなかったので、優勝しても昇格はできませんでした。自分自身、1年目からこれだけ出られるとは思っていなかったです。課題も多かったですが、鈴木孝司さんとか先輩も優しくて、伸び伸びプレーさせてもらいました。当時、正GKだった高原寿康さんはベテラン選手でしたが、黙々と練習する選手で、シュートストップが凄かったです。GKコーチは、セレッソでもプレーしていた武田治郎さんでした。2年目は4試合の出場に留まりました。若さゆえの波もあり、相馬(直樹)監督には懸念材料として映ったのだと思います。この年にサイバーエージェントが経営に参画し、J1ライセンスも発給されました。3年目は(ランコ)ポポヴィッチ監督になり、シーズン終盤に13試合出ました。ちなみに、ポポさんには、ハーフタイムでの交代を3回されました(苦笑)。ジンさん(キム ジンヒョン)もポポヴィッチ監督にハーフタイムでの交代をされたことがあったみたいで、その話で盛り上がりました(笑)。ポポヴィッチ監督にはめっちゃ怒られました。失点した後の態度も見られていて、「声を出せ」とずっと言われていました。今なら、期待してくれていたんだなと分かります。この年は2年目より多く試合に出て成長はできましたが、勝てない試合も多く、苦しかったです。最終的には19位で終わりました。プロ4年目の2021年は、リーグ戦全試合フル出場を達成しました。順位も5位で終わり、グッと自信が付きました。ただ、この年はコロナ明けで、昇格プレーオフはなく、J1昇格は1位と2位だけでした。ポポヴィッチ監督の3年目、プロ5年目の2022年は勝負の年だったのですが、全然勝てず、15位で終わりました。序盤は使ってもらっていたのですが、この年にハーフタイム交代を3回食らいました(苦笑)。翌年、2023年は黒田剛監督の就任1年目でした。僕はキャンプでケガをして出遅れたのですが、最後の11試合に出ることができて、J1昇格を決めた試合もピッチに立っていました。中島裕希さんと号泣しました。プロ1年目の18年にJ2優勝を逃した試合から考えると、5年越しにJ2優勝、J1昇格を達成できて、本当に嬉しかったです。この間、クラブとしても大きく変わりました。クラブハウスもできて、練習場の環境も良くなりました。2024年、昨シーズンはクラブとして初のJ1を戦いました。谷晃生選手が移籍してきたことで、自分は試合に出られず悔しい思いをしましたが、学びもありました。僕も「負けていない」と思える部分もありましたし、競争が成長につながったと思います。黒田監督は妥協を許さない監督でした。「練習が全て。練習がそのまま試合に出る」という考え方で、緩さを見逃さない。頭の回転も速く、言語化するのが上手かったです。裏表がなく、モチベーションを上げるのも上手い。選手たちをうまく競争させていました。ただ、初のJ1であそこまで上に行けるとは思っていなかったです。第7節・川崎フロンターレ戦で谷選手が退場し、J1デビューできました。J1のピッチに立つことは夢だったので、緊張しましたが、思ったより自分のプレーもできました。残り30分ぐらい、必死で守って、1-0で逃げ切りました。最高の景色でした。地域密着の町田で濃いキャリアを過ごして成長できた中、昨シーズンの終了後、セレッソからオファーをいただきました。ビックリしましたが、ルヴァンカップで対戦して結構シュートを止めたので、その印象が強かったのかも知れません。それまでは、町田でずっとやっていくんだろうなと思っていたのですが、人としても選手としても成長できる機会だと思い、移籍を決めました。アーサー パパス監督が志向するサッカーはアグレッシブで、楽しいです。GKに求められることも多いので、やりがいがあります。キム ジンヒョンさんという、何年もJ1でプレーされてきた選手、セレッソを最前線で支えてきた選手と一緒に練習することは、日々、学びの連続です。ジンヒョンさんから学びながら、「J1で正GKとして活躍する」という目標に向かって頑張っていきたいです。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
コウキ2 利き足
左足3 足のサイズ(cm)
28.04 背番号へのこだわり
GKといえば5 スパイクのこだわり
フィット感6 試合前に必ずすること
髭を整える7 自分のプレーの特徴
アグレッシブ8 遠征に必ず持っていくもの
パンツ9 オフの過ごし方
家族との時間10 ストレス解消法
サウナ11 サッカーを始めた年齢
10歳12 サッカーを始めたきっかけ
中村 俊輔選手に憧れて13 仲の良い選手/理由
長谷川 洸選手/気が合う14 チームメートの意外な一面/内容
西尾 隆矢選手/礼儀正しい、虫を殺さない性格15 憧れの選手
中村 俊輔選手16 サッカーで一番大切にしていること
チームワーク17 今季対戦が楽しみなチーム/理由
FC町田ゼルビア/古巣だから18 今までで一番嬉しかった試合
J2優勝を決めた試合19 今までで一番悔しかった試合
勝てばJ2優勝の試合20 将来の夢(サッカー面)
J1優勝21 もしサッカー選手じゃなかったら
営業マン22 あなたにとってサッカーとは
人生23 今季の目標(サッカー目標)
怪我をしない24 セレッソ大阪の好きなところ
選手の温かさ25 セレッソ大阪のイメージ
桜26 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ
サポーターとの距離感27 どんな応援をされると嬉しい?
ポジティブな応援28 おすすめの地元飯
しらす丼29 趣味・マイブーム
映画鑑賞30 自分の性格を一言で!
お調子者31 自分を動物に例えると
オラウータン32 生きていて1番ワクワクする瞬間
家族旅行33 生まれ変わったら何になりたい?
大谷 翔平選手34 座右の銘、好きな言葉
継続は力なり35 初めての給料の使い道
財布の購入36 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)
土佐兄弟37 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)
新木 優子さん38 好きな女性のタイプ
綺麗系39 好きな女性の髪型はショート派?ロング派?
ロング40 好きなマンガ・アニメ・好きなTV番組・ YouTubeチャンネル
キングダム41 好きな季節/理由
夏/あったかいから42 好きな音楽のジャンル
ヒップホップ43 好きな食べ物
オムライス44 苦手な食べ物
パクチー45 この世で一番好きなもの
お金46 この世で一番怖いもの
お金47 今一番会ってみたい人
大谷 翔平選手48 今一番欲しいもの
権力49 最近嬉しかったこと
娘が成長を感じた時50 引退後にやってみたいこと
カフェ51 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
ストレッチ52 学生時代に得意だった科目
体育53 ほっとする瞬間
遅刻しそうでしなかった時54 旅行に行くならどこに行きたい?
LA55 いつもつけている香水(銘柄等)
ル・ラボ56 ファン・サポーターへひと言
今年も熱い応援よろしくお願いします