福井 光輝
1
GK

FUKUI Koki

福井 光輝
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  • 年齢30
  • リーグ戦
    総出場試合数
    159

PROFILE
プロフィール

  • 名前福井 光輝(フクイ コウキ)
  • 生年月日1995/11/03(30歳)
  • 出身地神奈川県
  • 身長/体重184cm / 78kg
  • ポジションGK

PLAYER'S HISTORY
インタビュー

<2026年2月6日 更新>

-幼少期-

小学校時代から運動が好きで、バスケやバレー、野球など色々なスポーツをやっていました。自分で言うのもなんですけど、全部それなりにできて、何でも楽しめました。親も「好きなスポーツをやったらいいよ」という感じで見守ってくれて、最初は野球に傾いていたのですが、、丸刈りにすることに抵抗があったんです。ちょうどその時、父が買ってきてくれた(中村)俊輔さんの自伝を読んで、憧れを抱いて、自分もボールを蹴ってみたら左利きだったんですよ(笑)。それでサッカーをやることにして、小学4年生から藤沢市立明治小学校の明治フリーバーズSSSという少年団に入りました。ただ、結局サッカーも夏になったら丸刈りになるという…。でも、もう辞められなかったので、続けました(笑)。当時のポジションはFWでした。点を取りたくて、とりあえず目立ちたかった(笑)。周りよりキックの威力はあったので、少年団でもキックオフシュートで点を取ったこともあります。GKを始めたきっけかけは、僕は持病で喘息を持っていたのですが、砂埃でも発作が起きて、5年生で入院したんですけど、それ以降、走ったら息切れするようになり…。それでGKになったんです。フィールドプレーヤーに比べたら運動量が少ないという理由です(笑)。そもそも周りと比べて身長が大きかったので、PKとかではGKもやっていましたし、1学年上のGKに憧れていたこともありました。ただ、5年生の時はフィールドプレーヤーとGKを両方やっていたので、市のトレセンにはFWで選んでもらいました。6年生でGK、1本になって、GKとしてトレセンに選んでもらいました。それで自信が付いて、湘南ベルマーレのジュニアユースのセレクションを受けました。ポジションは「FWとGK」って書いて、1次試験はFWで受けて、2次試験はどっちもやって、GKで最終試験に進んで、最終的にはGKで受かりました。

 

-中学~大学-

中学の3年間は苦しかったですね。同期のGKにナショナルトレセンにも選ばれるような選手がいて、僕は中学3年間、公式戦には1試合も出ていません。その同期は古島圭人選手という選手なのですが、中学の時からトップチームの練習にも行くようなエリートでした。ただ、試合には出られなかったですが、中学3年間は濃かったです。GKコーチが素晴らしい方ばかりで、自分の可能性を広げてくれました。1年生では齋藤誠一さん、2年生は古島清人さん(古島圭人選手の父)です。3年生が伊藤友彦さん。錚々たるGKコーチの方に教えていただきました。土のグラウンドで100本シュートを受けて、メンタルが鍛えられました(苦笑)。この3年間があったから、今があると思っています。トップチームの試合も見ていましたが、当時はプロサッカー選手を目指す考えはなかったです。キックこそ当時から自信はありましたが、正直、周りとはレベルが違っていて、みんなに付いていくのに必死で。ユースにも上がれず終わりました。当時の同級生は、誰も俺がプロになるなんて思っていなかったです。これは絶対にそうです(笑)。大人になって会っても、「お前がプロ?」と未だに言われますよ(苦笑)。

 

高校は湘南工科大学附属高等学校に進学しました。正直、サッカーは中学で辞めようと思っていたのですが、ベルマーレのジュニアユースの同期が練習参加することになって、「お前も行く?」となって。ベルマーレのジュニアユースのコーチが高校の監督に掛け合ってくれて、自分も練習参加することができました。それで受かって、スポーツ推薦で入れることになったんです。湘南ベルマーレという肩書が大きかったと思います(笑)。近年はインターハイにも出ている高校ですが、当時は県大会のベスト8、16ぐらいで負けるレベルでした。高校では1年生からAチームに入って、試合にも少し出ることができました。やっぱりベルマーレのアカデミーに比べたらレベルは落ちるので、自分でも目立てる環境でした。中学では試合に出ることすらできなかったのですが、ようやく自分を表現できる場ができました。得意のキックで違いを見せることができました。ただ、シュートは止めることに関しては、課題が多かったです。2年でレギュラーを掴めましたが、ポカミスして外されたこともありました。転機は3年です。なぜかU-18日本代表に入ったんです。高校3年生の夏前に日体大のセレクションに行ったんですけど、そのセレクションになぜかU-18日本代表の鈴木政一監督が見に来ていたんです。そこでいいプレーができて、日体大にも合格もして、U-18日本代表にも選ばれました。なぜ日体大のセレクションを受けたかと言えば、高校の監督が日体大出身という縁があったこと、それと、僕自身、大学でもサッカーを続けたかったですし、将来のことも考えて教員免許も取りたかったので。ちなみに鈴木監督も日体大出身で、U-18日本代表の監督の前は日体大で監督をやっていたんです。そういうつながりもあって、人材発掘を兼ねてセレクションを見に来ていたようです。僕とすれば、運が良かったですね(笑)。夏のSBSカップを戦うU-18日本代表に選ばれました。最初は呼ばれていなかったのですが、今サンフレッチェ広島にいる田中雄大選手がケガをして、追加で呼ばれました。その代表には、川辺駿選手、関根貴大選手、汰木康也選手、金子翔太選手とかがいて、正直、自分は浮いていました(苦笑)。「湘南工科大学附属高校から来ました福井光輝です」って言ったら、「誰、お前?」みたいな世界でした(笑)。でも、みんなめちゃくちゃ上手くて、カッコ良かった。そこで「彼らのようになりたい」と思ったんです。それにU-18日本代表でもキックだけは通用したので、「ここを伸ばせば、彼らにも対抗できるかも知れない」と、いい意味で自信になりました。結局、試合には出られず、これ以降、代表には選ばれなかったですが、「コイツらに負けたくない。同じ舞台で戦いたい」という向上心が芽生えました。僕にとって最高の時間で、このキャンプがサッカー人生の転機になりました。3年生では、関東プリンスリーグに昇格させることができました。当時としては偉業でした。選手権も出場を期待されていたのですが、県予選のベスト8で敗退しました。桐光学園と対戦して、1年生の小川航基選手に2発やられて終わりました(苦笑)。結局、この年は桐光学園が選手権に出場しました。

 

日体大では、推薦で入ったので1年生の時からAチームに入れてもらいましたが、試合には出られなかったです。2年になると、鈴木政一さんが監督に戻ってきました。2年でも最初は出ていませんでした。今、モンテディオ山形にいる長谷川洸がずっと出ていました。この年、日体大は関東大学サッカーリーグ2部で優勝して、1部昇格を果たしました。僕も夏以降に少し出て、1部昇格を決めた試合にも出ました。3年になってもハセ(長谷川選手)が先発で、夏の総理大臣杯も彼が出ていました。そうした中で、後期のリーグ戦は少し先発で出て、最後のインカレも僕が出ました。ただし、決勝で筑波大学に0-8で負けたんです(苦笑)。鈴木徳真選手、中野誠也選手、北川柊斗選手、高嶺朋樹選手、山川哲史選手、三笘薫選手とかがいた代の筑波です。ここでもう、サッカーを諦めようかなと(苦笑)。少し話を戻すと、大学2年の時、浦和レッズの練習参加に行かせてもらったんです。西川周作選手を間近で見て、「ヤバい、コレだ!」と思って、「追い付きたい。残りの2年で、もっと伸ばそう」と頑張った結果、3年のインカレで派手に散ったので、「サッカー、諦めよう」と思って(苦笑)、就職活動もしました。車が好きで、ヤナセとかの面接を受けていました。ちょうどその時、FC町田ゼルビアのスカウトをやっている丸山(竜平)さんが声をかけてくれて、2回ぐらい練習参加したら、オファーをくれたんです。ただ、プロに行くかどうか迷っていました。教員免許も取ったので、体育教師をやろうかな、とも思っていました。迷っていることは丸山さんにも伝えました。施設も大学の方が良かったですし、当時の町田は人工芝で環境はまだ整っていなかったので、「ここでやるのはどうなんだろう?」という思いもあったんです。けど、僕の代は、いま横浜FCにいるンドカ・ボニフェイス、アルビレックス新潟の太田修介選手、山形の長谷川洸選手、ファジアーノ岡山の輪笠祐士選手とプロになった選手も多く、そうした周りの環境もあって、最終的には僕も大学4年生の5月に町田に行くことに決めました。両親は僕に委ねてくれていましたが、プロになって欲しかったみたいです。ちなみに、オファーをくれたのは町田だけでしたが、大学3年の冬、鈴木政一さんの紹介でジュビロ磐田の練習にも参加しました。僕がサッカーを始めるきっかけとなった憧れの人、中村俊輔さんとも隣でご飯を食べました(笑)。「こいつ、俊のこと好きらしいよ」と名波(浩)監督がイジってくれて、俊さんも、「じゃあ何でGKなんだよ?(笑)」とか突っ込んでくれて、最高でした。大学時代を振り返ると、シュートストップは下手なままでしたが、同期の長谷川選手が上手かったので、それを隣で見て吸収して、少しは上達しました。彼は東京ヴェルディのアカデミー出身で、ヴェルディ愛が強く、「ヴェルディでプロになる」とストイックに努力していたので、影響されて、「負けられない。自分もプロになりたい」と思うようになりました。

 

-プロ以降-

大学4年生では特別指定選手としてチームに帯同して、2回ぐらいベンチに入りました。試合には出ていません。プロ1年目の2018年、J2リーグ第12節の東京ヴェルディ戦でデビューしました。それまで3連敗していて、ヴェルディ戦で自分に出番が来て、その試合で勝ったことで、以降も出続けることができました。29試合に出て、4回ぐらいしか負けていません。途中で首位にも立って、最終的には2位で最終節を迎えて、勝てば優勝だったんですけど、引き分けて4位で終わりました。ただ、J1のライセンスがなかったので、優勝しても昇格はできませんでした。自分自身、1年目からこれだけ出られるとは思っていなかったです。課題も多かったですが、鈴木孝司さんとか先輩も優しくて、伸び伸びプレーさせてもらいました。当時、正GKだった高原寿康さんはベテラン選手でしたが、黙々と練習する選手で、シュートストップが凄かったです。GKコーチは、セレッソでもプレーしていた武田治郎さんでした。2年目は4試合の出場に留まりました。若さゆえの波もあり、相馬(直樹)監督には懸念材料として映ったのだと思います。この年にサイバーエージェントが経営に参画し、J1ライセンスも発給されました。3年目は(ランコ)ポポヴィッチ監督になり、シーズン終盤に13試合出ました。ちなみに、ポポさんには、ハーフタイムでの交代を3回されました(苦笑)。ジンさん(キム ジンヒョン)もポポヴィッチ監督にハーフタイムでの交代をされたことがあったみたいで、その話で盛り上がりました(笑)。ポポヴィッチ監督にはめっちゃ怒られました。失点した後の態度も見られていて、「声を出せ」とずっと言われていました。今なら、期待してくれていたんだなと分かります。この年は2年目より多く試合に出て成長はできましたが、勝てない試合も多く、苦しかったです。最終的には19位で終わりました。プロ4年目の2021年は、リーグ戦全試合フル出場を達成しました。順位も5位で終わり、グッと自信が付きました。ただ、この年はコロナ明けで、昇格プレーオフはなく、J1昇格は1位と2位だけでした。ポポヴィッチ監督の3年目、プロ5年目の2022年は勝負の年だったのですが、全然勝てず、15位で終わりました。序盤は使ってもらっていたのですが、この年にハーフタイム交代を3回食らいました(苦笑)。翌年、2023年は黒田剛監督の就任1年目でした。僕はキャンプでケガをして出遅れたのですが、最後の11試合に出ることができて、J1昇格を決めた試合もピッチに立っていました。中島裕希さんと号泣しました。プロ1年目の18年にJ2優勝を逃した試合から考えると、5年越しにJ2優勝、J1昇格を達成できて、本当に嬉しかったです。この間、クラブとしても大きく変わりました。クラブハウスもできて、練習場の環境も良くなりました。2024年はクラブとして初のJ1を戦いました。谷晃生選手が移籍してきたことで、自分は試合に出られず悔しい思いをしましたが、学びもありました。僕も「負けていない」と思える部分もありましたし、競争が成長につながったと思います。黒田監督は妥協を許さない監督でした。「練習が全て。練習がそのまま試合に出る」という考え方で、緩さを見逃さない。頭の回転も速く、言語化するのが上手かったです。裏表がなく、モチベーションを上げるのも上手い。選手たちをうまく競争させていました。ただ、初のJ1であそこまで上に行けるとは思っていなかったです。第7節・川崎フロンターレ戦で谷選手が退場し、自分がJ1デビューすることになりました。J1のピッチに立つことは夢だったので、緊張しましたが、思ったより自分のプレーもできました。残り30分ぐらい、必死で守って、1-0で逃げ切りました。最高の景色でした。地域密着の町田で濃いキャリアを過ごして成長できた中、シーズン終了後にセレッソからオファーをいただきました。とても驚きましたが、ルヴァンカップで対戦した際に結構シュートを止めたので、その印象が強かったのかも知れません。それまでは、町田でずっとやっていくんだろうなと思っていたのですが、人としても選手としても成長できる機会だと思い、移籍を決断しました。

昨シーズン、個人としては初めてJ1でシーズンを通して試合に出て、多くの経験をさせてもらいました。でも、だからこそ、もっと成長しないといけないと感じました。セレッソは長年、ジンさん(キム ジンヒョン)が守護神に君臨していて、そのポジションを奪って試合に出ることはプレッシャーもありましたが、ボス(アーサー パパス監督)の要求に応えたい気持ちは強かったですし、GKから攻撃の起点になることは意識しました。ロングキックやフィードで起点になることもできて、自信につながりました。プレーの幅も広がったと思います。ただ、もっとシュートを止めないといけないと感じた1年でもありました。今年のGK陣は刺激しかないです。ジンさんには昨年も刺激をもらっていましたし、(中村)航輔くんともGKの色んな話をしています。二人とも代表を経験しているGKですし、盗めるものは全部盗んで、さらに成長したい。昨年試合に出させてもらって責任感も生まれているので、リーダーシップも発揮して、チームを勝たせられるGKになりたいです。チームとしても、昨年は大きな一歩を踏み出して成長できたシーズンになったと思います。正直、順位としては満足できなかったですが、セレッソとして新たなサッカーで、新たな挑戦をした中で確実に前進したと思います。昨シーズン積み上げたことを生かして、今シーズンは必ず上位に食い込んでタイトルを獲れるように頑張ります。


CAREER
経歴

明治フリーバーズ→湘南ベルマーレU-15平塚→湘南工科大付属高校→日本体育大学→FC町田ゼルビア→セレッソ大阪

PERSONALITYパーソナリティー

  • 1 ニックネーム

    コウキ
  • 2 利き足

    左足
  • 3 足のサイズ(cm)

    28.0
  • 4 スパイクのこだわり

    フィット感
  • 5 試合前に必ずすること

    髭を整える
  • 6 自分のプレーの特徴

    守備範囲、フィード
  • 7 遠征に必ず持っていくもの

    携帯
  • 8 オフの過ごし方

    家族と過ごす
  • 9 ストレス解消法

    温冷浴
  • 10 サッカーを始めたきっかけ

    中村俊輔さんに憧れて
  • 11 仲の良い選手

    上門知樹/阪田澪哉
  • 12 チームメイトの意外な一面/内容

    香川真司さん/庶民的なところ
  • 13 憧れの選手

    中村俊輔さん
  • 14 サッカーで一番大切にしていること

    準備
  • 15 今までで一番嬉しかった試合

    J2優勝を決めた試合
  • 16 今までで一番悔しかった試合

    ありすぎて選べません
  • 17 もしサッカー選手じゃなかったら

    バスケットボール選手
  • 18 あなたにとってサッカーとは

  • 19 今季の目標(サッカー目標)

    タイトル
  • 20 セレッソ大阪の好きなところ

    スタジアムの雰囲気
  • 21 セレッソ大阪のイメージ

    大阪の街の誇り
  • 22 ヨドコウ桜スタジアムの好きなところ

    臨場感
  • 23 どんな応援をされると嬉しい?

    全て
  • 24 おすすめの地元飯

    パシフィックドライブイン
  • 25 趣味・マイブーム

    子供と遊ぶ
  • 26 自分の性格を一言で!

    明るい
  • 27 自分を動物に例えると

    イワシ
  • 28 生きていて1番ワクワクする瞬間

    子供の成長
  • 29 座右の銘、好きな言葉

    継続は力なり
  • 30 初めての給料の使い道

    財布
  • 31 好きな芸能人/アーティスト/芸人(男性)

    香川真司
  • 32 好きな芸能人/アーティスト/芸人(女性)

    新木優子
  • 33 好きな女性のタイプ

    香川真司みたいに優しい人
  • 34 好きなアニメ/マンガ/ゲーム

    キングダム
  • 35 好きな季節/理由

    夏/あったかいから
  • 36 好きな音楽のジャンル

    ヒップホップ
  • 37 好きな食べ物

    オムライス
  • 38 苦手な食べ物

    ガリ
  • 39 この世で一番好きなもの

    家族
  • 40 この世で一番怖いもの

    権力
  • 41 今一番会ってみたい人

    香川真司
  • 42 今一番欲しいもの

    タイトル
  • 43 最近のうれしかった出来事を教えてください

    家族旅行
  • 44 今季の目標(プライベート)

    娘の誇れる父
  • 45 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと

    色々なスポーツ
  • 46 学生時代に得意だった科目

    体育
  • 47 ほっとする瞬間

    カフェ
  • 48 日常生活で「自分がサッカー選手だな」と感じる瞬間

    足で物を取ろうとする
  • 49 旅行に行くならどこに行きたい?

    モルティブ
  • 50 住んでみたいところ

    沖縄
  • 51 戸建派かマンション派か?

    マンション
  • 52 ファン・サポーターへ向けて一言

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