ジャスティン ハブナー
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DF

JUSTIN HUBNER

ジャスティン ハブナー
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  • 年齢20
  • リーグ戦
    総出場試合数
    2

PROFILE
プロフィール

  • 名前ジャスティン ハブナー(ジャスティン ハブナー)
  • 生年月日2003/09/13(20歳)
  • 出身地オランダ
  • 身長/体重187cm / 76kg
  • ポジションDF

PLAYER'S HISTORY
インタビュー

-幼少期-

サッカーを始めたのは3歳半です。オランダの地元のチームに父が連れていってくれました。きっかけは、小さい頃から僕がずっと、「サッカーをやりたい」と言っていたらしく(笑)、それを聞いた父がチームに連れていってくれたようです。ホントは3歳半では入れなかったようなのですが、「どうしてもやりたい」とお願いしたら、特例で入れてくれたようです(笑)。3歳半なので、プレーというよりも、ボールと一緒にドリブルするのが精一杯ですが(笑)、それくらい、小さい頃からサッカーが大好きでした。選手では、メッシとクリスティアーノ・ロナウドに憧れていました。父はインドネシア人、母がオランダ人ですが、幼少期から住んでいたのはオランダで、ずっとオランダで育ちました。父もサッカーをやっていました。プロまではいっていないのですが、結構、高いレベルの選手だったようです。ストライカーで、点をいっぱい取っていたと聞いています。アグレッシブなスタイルで、レッドカードもたくさんもらっていたようです(笑)。だから僕も闘争心は受け継がれていると思います。僕がプロサッカー選手になれたことを誇りに思ってくれていますし、いつもサポートしてくれています。兄もサッカーをやっています。今、兄が所属しているチームの監督を父がやっています。父は監督としても気性が荒く、叫んだり、相手チームと喧嘩したり、今もピッチ上ではかなり激しいです(笑)。


-学生〜プロ以降-

7、8歳の頃にプロクラブのアカデミーに入りました。ヴィレムIIというクラブで、途中でFCデン・ボスに名前が変わりました。経営陣が変わって名前は変わったのですが、同じクラブです。オランダでプレーしたのは、このクラブだけです。7、8歳の時、すでにプロサッカー選手になることが夢でした。このクラブには、スカウトされて入りました。最初は練習生扱いで50人ぐらいいたのですが、そこからセレクションがあり、僕は1番で入りました。サッカーを始めた3、4歳の頃のポジションはストライカーでしたが(笑)、クラブに入った頃は、基本的には左のボランチでした。ただ、このクラブに入った1年目に、リーグで得点王も獲りました。PKやFKも僕が蹴っていたので、そこでたくさん点を決めていました。そこから1、2年後にセンターバックになりました。いつも父が練習場まで車で送ってくれて、練習も見てくれていました。この頃から試合をするのが楽しくて仕方なかったです。高校に進学するにあたっては、イタリアのボローニャ(アカデミー)に練習生として参加しました。練習でのパフォーマンスにも手応えがあり、何かの大会のトーナメントにも出場させてもらい、CBとして3試合に出て3ゴールを決めました。ボローニャとサインする直前までいっていたのですが、この時の試合をウルブズ(ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC)のスカウトも来ていて、「僕らのチームにも練習参加に来て欲しい」と言ってもらいました。それがきっかけで、ウルブズに入ることになりました。ウルブズを選んだ理由は、プレミアリーグでプレーすることが夢だったからです。ウルブズに入ることが、自分にとってプレミアリーグでプレーする一番の近道だと思って決めました。16歳でプロ契約を結びました。


ウルブズでの1年目は苦しみました。というのも、コロナが始まり、何もできなかったからです。2ヶ月ぐらいイングランドに滞在した後、試合もないので、オランダに一度、帰りました。そこからはサッカーを半年ほど全くせずに過ごしました。なので、イングランドに戻ってからも大変でした。コロナが始まる前、ウルブズに入って最初の2日間はトップチームで練習させてもらい、特に印象に残っています。U-18でプレーすることになっていたのですが、2日間だけ呼んでもらいました。オランダの小さなクラブからいきなりプレミア1部のクラブに移籍して、さらにはトップチームで練習できたので、レベルや体格の違いに驚き、ビックリしました(笑)。コロナが落ち着いてウルブズに戻ってからは、U-18の試合に出て、そこからU-21にも昇格しました。イングランドはフィジカル的にも強く、プレースピードも速い。若い内からそうしたリーグで試合を重ねることで、大きく成長できたと思っています。昨年12月のアーセナル戦で、初めてトップチームのメンバー入りができました。試合に出ることはできなかったのですが、エミレーツ・スタジアムだったので、とても良い経験になりました。ピッチ外の生活は、最初は大変でしたが、すっかりチームメートとも打ち解けて、一緒に食事に行ったり会話をしたり、楽しく過ごしていました。僕はチームメートと話すことが好きなので、いい関係性を築けていました。セレッソの選手たちもフレンドリーで、僕をすぐに受け入れてくれました。チーム全員、仲がいいですし、とても印象は良いです。中でもジョルディ(クルークス)はオランダ語も話せるので、話す機会は多いですね。オフの過ごし方としては、今はポケモンカードゲームにハマっています(笑)。


代表活動としては、U-19、U-20まではオランダ代表としてプレーしていました。僕らの世代は強く、試合をするたびに勝っていました。僕もほぼ試合に出ていました。ただ、今年インドネシアに帰化したことで、今はインドネシア代表としてプレーしています。AFCアジアカップ2023にもインドネシア代表として出場しました。インドネシアの国籍を選んだ理由としてはファン、サポーターの声援や心遣いが、これまで接したものとは全く違ったからです。みんな温かくウエルカムな雰囲気で、ピッチ外でも「頑張って下さい」というメッセージをたくさんいただきました。それがインドネシアの国籍を選んだ理由です。もちろん、簡単な決断ではなかったですし、両親ともしっかり話し合いました。やっぱりずっとオランダで育ってきたので、オランダ代表としてプレーすることも目指していました。僕はインドネシアで育ったわけではないですし、かなり悩んだことは確かですが、ゆっくり時間をかけて選択し、インドネシア代表としてプレーすることに最終的に決めました。両親は常に僕をサポートしてくれているので、「あなたが後悔しない決断をしなさい」と言ってもらいました。その言葉も、決断をする上で後押しになりました。アジアカップでは、全試合フル出場して、日本とも対戦しました。アジアでナンバーワンの国なので、良い経験になりました。マイク(毎熊晟矢)とも戦ったのですが、当時はチームメートになるとは分かっていなかったですし、インドネシア代表としても、基本的には欧州でプレーしている選手を中心にスカウティングされていたので、(海外組でない)マイクのことはそこまで聞かされていなかったです。ただ、いざ日本と対戦してみたら、素晴らしい選手でした。こうしてチームメートになれたことを嬉しく思います。


セレッソの印象は素晴らしいですね。練習メニューも良く、強度も選手のレベルも高い。いいチームに来れたと思っています。ここでしっかり経験を積んで成長したいです。僕の特長は、高さを生かしたヘディング、1対1の守備です。ピッチ上でリーダーシップを発揮できることも強みです。セレッソでは、できるだけ多くの試合に出て、できるだけ長くピッチに立つことが目標です。チームとしては、リーグ優勝を目指しているので、自分もその目標に貢献したいです。サポーターの皆さんの前でプレーすることを楽しみにしています。


CAREER
経歴

FCデン ボス(オランダ)→ウルヴァーハンプトン ワンダラーズFC(イングランド)→セレッソ大阪

NATIONAL TEAM HISTORY
代表歴

インドネシア代表
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