PROFILE
プロフィール
- 名前鳥海 晃司(トリウミ コウジ)
- 生年月日1995/05/09(27歳)
- 出身地千葉県
- 身長/体重182cm / 71kg
- ポジションDF
PLAYER'S HISTORY
インタビュー
-幼少期-
千葉県木更津市出身です。小さい頃は、サッカーか野球のどっちをするか迷っていたのですが、サッカーをやっている友達が多かったので、サッカーを始めました。8歳くらいでした。FCウーノ木更津という少年団に入りました。とにかく自由にやらせてもらっていました。FWとボランチをやっていました。「2点を取ったら守る」とか、攻める時は攻める、守る時は後ろで守っていました。当時の自分は運動神経も良く、サッカーも上手いなと思っていました(笑)。トレセンにも選ばれていました。チーム自体は強い方ではなかったですが、楽しくサッカーをやっていました。半年後くらいに、ジェフのスクールにも入りました。週2くらいでミニゲームをずっとやっていました。上の学年に混ぜてもらっていました。スクールに通っている小学生の頃から「ジェフでプロになりたい」と思っていました。トップチームの試合も見に行って、僕はずっと阿部勇樹選手が好きでした。とにかくカッコ良かった。プレーも真似して、憧れていました。
-中学~大学-
中学ではジェフのU-15に入りました。セレクションで入りました。周りは上手い子ばかりでした。入った頃はトップ下だったのですが、段々、後ろに下がっていきました。中1の終わり頃にはCBに落ち着きました。試合に出られればどこでもいいと思っていたので、特にポジションにこだわりはなかったです。当時もすでに身長は大きかったですが、細かったです。高校に上がってから、トレーナーと鍛えました。高校はそのままジェフのU-18に上がりました。高校でも最初はCBをやっていたのですが、すぐボランチになりました。高3ではCBとボランチの両方をやっていました。高3でトップチームで練習する機会もあり、進路はトップチームに昇格する話もあったのですが、大学に行きたいと思い、推薦で明治大学に進学しました。そのままプロに上がっても出られる自信がなかったのと、自分をもっと鍛えたいという思いで、自分から「大学に行かせて下さい」と話して大学を選びました。明治大学は、夏に一回、話をもらっていた、という経緯もありました。
明治大は、毎年プロを多く輩出する大学だったので、強かったですね。入った当初はレベルが高過ぎてビックリしました。技術的な部分はやれるなと思ったのですが、スピードや対人では敵わなかった。ただ、「個を強くする」という目標もあって明治大を選んだので、望んでいた環境でした。1年ではチームの雑用をしたり、寮生活だったので、人間性も鍛えられました。2つ上の選手の怪我の影響もあり、2年から試合に出始めました。明治大にはボランチで入ったのですが、ここから卒業まで、ほぼCBでプレーしました。3年では総理大臣杯と関東リーグで日本一になりました。総理大臣杯は2年でも決勝に行って負けていたので、3年で優勝できた時はめちゃくちゃ嬉しかったです。3年の11月からは就活もしました。明治大学は、プロに行く選手も全員、就活しないといけないんですよ。人間性を磨くというか、「一回、社会も見てこい」ということで。OB訪問する内に、「社会人もカッコいいな」と思って、サッカーを辞めて社会人になろうと思い始めました。証券会社や総合商社とか、色々回りました。自己分析してエントリーシートも書いて、SPIの勉強もしていましたよ(笑)。面接で「寮では、2段ベッドが8個ある16人部屋に住んで…」とか「サッカーで日本一になって…」とか話すと、食いつきが良くて(笑)。「日本一を取るために、こういう練習やミーティングをしました」とか話すと「行動が結果に伴っている」と評価されて、内々定をもらった会社もありました。その後、関東選抜に選ばれてデンソーカップを戦っていた時も、一緒のチームだった(鈴木)徳真に「就活しているから、プロには行かない」と言っていました(笑)。ただ、デンソーカップで日本一になって、ユニバーシアードの代表にも入って自信が付き、プロサッカー選手への思いも再び湧いてきました。会社はプロサッカー選手を経てからでも行けると思ったり、ここまで育ててもらった両親にも、一度、千葉でプロサッカー選手になる姿を見せてあげたい思いもありました。結局、「今しかできないことをやろう」と思い、3年の終わり、4年になる前に千葉に加入することに決めました。プロになるならジェフ以外は考えていなかったです。スカウトの方には、2年からずっと追いかけてもらっていました。サッカー選手としても、人間としても、明治大での4年でめちゃくちゃ成長できました。高校卒業でトップチームに行かない選択をして結果的に良かったと思います。
-プロ以降-
1年目の開幕戦で同じポジションの選手が退場して、急遽、出ることになりました、これがプロデビューです。プロではずっとCBですね。(フアン)エスナイデル監督の戦術はハイラインで、「裏のスペースはGKがカバーするから」みたいな感じでした。GKが足をつることもありましたよ(笑)。僕はカバーリングが好きだったので、ラインを上げるサッカーは楽しかったです。昔からクサビを潰すより、その後を回収するタイプでした。2年目は途中で監督が代わりました。江尻(篤彦)さんは明治の大先輩でした。もっともっと試合に絡みたいと思って頑張っていました。3年目はユン(ジョンファン)監督になり、この年から左のCBをやり始めました。ユンさんは、「CBは守るポジションだから、ボールを取ったら近くの選手に渡して守備をしろ」という感じでした。ゲームキャプテンもやらせてもらって、試合全体を見るようになりました。ユンさんには、期待してもらっていたのか、最後の方は「来年どうするの?」とかなり聞かれました(笑)。アカデミー出身ということもあり、千葉は居心地も良く大好きだったので、残りたい気持ちもあったのですが、最終的にはJ1にチャレンジしようと思って、セレッソ移籍を決めました。
セレッソでの1年目は、宮崎キャンプでケガをして出遅れました。ただ、前十字靭帯じゃなくて、まだ良かったです。2年目の昨シーズンは、J1でコンスタントに試合に出る経験を積めました。出た試合で結果を残せたことが大きかったと思います。今季の目標は、昨年逃したタイトルを獲りにいくこと。リーグではACL圏内を目指すこと。昨年の結果を越えられるように、結果を求め続けていきたいです。個人的には、試合に出続けること、昨年に引き続き出た試合で結果を残すことを意識したいです。このオフに3年の複数年契約を結びました。クラブから評価して頂いたこともありますし、僕もチームを転々とするのは好きではないので。そもそも、大好きだった千葉を出たからには、セレッソで何が何でも結果を残すという決意で来ました。選んだからには、やり切ろうと。大阪も、めっちゃいいですね。嫁も気に入っています。街もいいですし、セレッソの選手の人柄もいい。大阪の人って温かいですよね。いい意味でお節介というか(笑)。僕は好きですね。
CAREER
経歴
PERSONALITYパーソナリティー
1 ニックネーム
とり2 利き足
右足3 足のサイズ(cm)
26.54 スパイクのこだわり
ミズノ5 げん担ぎ・ルーティン
右足からピッチに入る6 自分のプレーの特徴
カバーリング7 遠征に必ず持っていくもの
塩8 オフの過ごし方
家族で出かける9 ストレス解消法
子供達と遊ぶ10 サッカーを始めた年齢
8歳11 サッカーを始めたきっかけ
友達が多かったから12 影響を受けた指導者
明治大学 栗田監督13 仲の良い選手/理由
新井一耀選手/関東に帰ったら必ず連絡してます14 憧れの選手
ジェラールピケ15 今季対戦が楽しみなチーム/理由
広島/昨年1度も勝ってないから16 将来の夢(サッカー面)
セレッソで優勝する17 もしサッカー選手じゃなかったら
わからない18 あなたにとってサッカーとは
なくてはならないもの19 今季の目標(サッカー目標)
優勝する20 セレッソ大阪の好きなところ
みんな優しい21 セレッソ大阪のイメージ
攻撃的なサッカーをするチーム22 大阪の好きなところ
便利23 地元(故郷)のおすすめ料理、場所
木更津24 趣味・マイブーム
ゴルフ25 資格や特技
サッカー26 自分の性格
適当27 生きていて1番ワクワクする瞬間
サッカーで勝ったとき28 人生で1番悔しかったこと
決勝負けたとき29 初めての給料の使い道
車買った30 好きな芸能人/アーティスト/芸人
霜降り明星31 好きな女性のタイプ
優しい人32 好きなアニメ/マンガ/ゲーム
ワンピース33 好きなキャラクター
ルフィ34 好きな映画のジャンル
SF35 好きな音楽のジャンル
CHOUJI36 好きな食べ物
ラーメン37 苦手な食べ物
魚介38 この世で一番好きなもの
家族39 この世で一番怖いもの
虫40 今一番欲しいもの
車41 最近チャレンジしたこと
英語42 最近嬉しかったこと
年末に関東に帰れたこと43 これから取り組みたいこと、やってみたいこと(サッカー以外)
英語勉強したい44 子どもの頃の夢
サッカー選手45 子どもの頃にやっていてよかったなと思うこと
サッカー46 思い出の一品(食べ物でも、身につけるものでも可)
結婚指輪47 誕生日にもらって嬉しかったもの
お財布48 ほっとする瞬間
家帰ったとき49 いつもつけている香水(銘柄等)
LOUIS VUITTONのドリームなんとか50 将来の夢(プライベート)
子供とサッカーする